このブログについて

人の生い立ちを軽々しく扱いたくない、機能不全・アダルトチルドレン・共依存・ダブルバインド、モラルハラスメントなど・・・感じたこと。

2008年08月25日

自分に厳しい人、自分に甘い人

機能不全からの回復、AC(アダルトチルドレン)やアディクション(依存)をテーマにした自助グループに行ってる・・。

4年前、過食での15kgの急激な体重増加、不眠、強迫観念、フラッシュバック・・・それを起していた時、「私が人間として未熟だから、このようなストレスになるんだ・・。今はこれを何とか乗り越えないと・・」と思っていた。

だから、必死に心の痛みを我慢した。もちろん、不眠、強迫観念、フラッシュバックがあるので、メンタルクリニックに行き安定剤も貰ったりもした。でも薬は、一時的な対症療法にしかならないのを知ってたので、薬を飲んで良くなるとは思わなかった・・

だって、虫歯で歯が痛いとき、痛み止め飲んでも、薬の効果が切れたらまた歯が痛むでしょ。それと同じ。心も安定剤の効果が切れたら、また情緒不安定になるよ。原因を何とかしなければ、変わらない。でも原因については、我慢しろで通してきた・・。というか、「我慢しろ」と言われてきた。

心の痛みに、心の痛み止めとしての安定剤飲んで良くなると言う人ばかりじゃない・・・・。
特に、ACや、心のとらわれを抱えてる依存になりやすい人に、薬は新たな依存にしかなら無いよ・・。だから、心も知らずに、安易に薬を飲んだの?とか言うヤツはやなんだよ。



2年目経ち、ダイエットが成功して体重を戻した・・。
ついでに年々頭痛・肩こり・ドライアイが酷くなってきたので、煙草も辞めた・・。食事内容も健康的な菜食中心にし、煙草を辞めたので、ウォーキングもしやすくなり、運動しながらストレス解消など・・、ここまで健康的な生活が出来ている自分は、もう大分回復してるのだろう・・と思っていた。

でも私の本当の問題は何も良くなっては無かった・・・。それは感じていた。だからそれを何とかしない限り、またいつかは過食になるかもしれない、煙草は辞めてもアルコール依存になるかもしれない・・と思っていた。

ACの自助グループで、
「今まで自分一人で、この大変な状況を乗り越えられる、何とかなるとやってきたんでしょ・・。でも、もう無理しなくていいんだよ・・・。頑張らなくていいんだよ・・」
と言われ、まずはここは、安心出来る場所かもしれない・・・・と思った・・


私が精神不安定になる関係で、よく聞かされるセリフが
1.「ぶーにゃさんはしっかりしてるんだから、わかってあげないと。受け入れるべき。」
2.「○○さんは、大変な人だから、わかってあげないと。受け入れるべき。」
3.もしくは、一方的にアドバイスされたりすること。

1、2、3、のこのやりとりは、ACの親子や機能不全の関係とすごく似てる・・・。機能不全の関係とは、基本的に互いの尊重は無い。一方的な関わりだから、互いの気持ちを折り合いするような話は出来ない。「互いの尊重の為の話し合いが出来ない、もしくは話し合いをしているように見えても、それは相手を心理的に操作する為の話し合いだったりする」というのが、機能不全である


一方的に我慢を強いてくる関係・・・。
立場の逆転(下の者が上の者を気遣いつつ、責任も下の者が取らされるような感じ)
矛盾なこと、理不尽だと感じてもそれについて話し合いをしてはいけない雰囲気。
ダブルバインドも、もちろんあったから、

私の心のキャパシティー(能力)を越えた要求をされ、私は自分の心のバランスを取る為に、過食に走った。

「自分では納得してない事に我慢してんだ! だから、我慢した分、自分の心が要求不満だ! 心が満たされない!! だからせめて腹を満たしてやれ!!」

なんかそんな感じで、過食のスイッチが入って行った・・・。




矛盾や理不尽を感じてるのに、それについて話し合いは出来ない。
話し合いは無いまま、不可解と納得のいかないまま、受け入れるべきとなる・・
そういった状況になると、私にとっては、ある意味一種の心のどこかのスイッチを押す事になる・・・

ACでアディクション(依存)の傾向のある人は、そんなもんなんだ。。。。

ずっと抱えてきたもの、ずっと刷り込みを受けてきたことがあるから

ある言葉や、ある関係は、ACでアディクション(依存)のある人にとっては、心のどこかのあるスイッチを押すになってしまう・・・

そのスイッチは、煙草かもしれない、過食かもしれない、アルコールかもしれない、人間関係の共依存かもしれない、引きこもりかもしれない、ゲーム依存かもしれない。


・・・・

私は「自分に厳しくしてきた・・」だから、「自分に甘いヤツを受け入れる事はできない」
だから、私は、、「自分に甘いヤツ」特に「自己愛人格傾向のヤツ」はすぐわかる。

それじゃあ、「自分に厳しい」、という自分の考え方、生き方の癖を取り払えば、、「自分に甘いヤツを気にしなくて済むか?」と言われれば・・・わからない・・・


だって、そもそも「自分に甘いヤツが」、「自分に厳しくなれる素質のヤツ」をうまいこと見つけて、刷り込み開始、心理的操作(支配とコントロール)、共依存開始なんだよ・・・・。

許せるかどうかはわからない・・・


自己愛者は、自分の都合で動いてくれる共依存者はうまく見つけるけど、自分の体を苛める依存はしないんだよ。 だから、、自分の体や心を苛める依存者達みたいに、病院送りにもなかなか、ならないのだ。

まだまだ、自己愛者達には怒りを持ってる。
というか今は怒りたい時間だけ、いくらでも怒らせて欲しい。

2008年08月23日

ピア カウンセリング 公平な時間と人権の尊重

ある自助グループを知って、知ることによりかえってその内容に疑問を持ち?、その関係の中でダブルバインドを知り、モラルハラスメントを知って、機能不全を知り、

機能不全から、AA 12 の ステ ッ プ(自助グループが始まりとなる相互援助の活動の中の約束)を知り、本当の意味で対等に語り合う、人権を尊重した語り合いとは?と調べているうちに、ピア カウンセリングにたどりついた・・

そして、ピア カウンセリングの公開講座に参加させてもらいました・・

内容は、
ニューアンドグッズ
→ 新しく発見したこと。楽しかったことなどを話すこと
セッション
→ 共に決めた時間を対等に分け合って、傾聴しあう

・リレーション(関係作り)
・ピア・カウンセリングとは(ピアとは?)
・人間の本質と感情の解放

などやりました・・・。



共に決めた時間を対等に分け合って、傾聴しあう心地良さに、私はとても安心感を覚えました・・。

確かに話す時間は限られてるているんです。3分〜5分のたったの数分です。それでも、私が話している間、聴いてる方は、口出しは一切してはいけません。ただ傾聴するのみなんです。

相手の言葉の突っ込みで思うように話せない時がある私には、3分〜5分のたったの数分でも、自分の思いを何の批評も評価も無く、ただただ聴いてくれる・・、にとても安心感を感じるとともに、

ありのままでいいんだよと・・言う、尊重と
時間を公平に分け合い話すと言う、
偏りの無い関係、偏りの無いコミニュケーションを、

本当に今まで随分として来なかった・・

こんなに公平で人の思いの尊重を感じ、安心して話せる・・そんな時間を今までどれだけ持てたことがあるか・・??と思うと、涙が出てきます・・・


子供が発達障害と診断受けてから、12年経ちましたが、どの講演会・講座よりも暖かく、心にたくさんの力をくれた気がしました。

ピア カウンセリング講座の講師さんも本当に人格の優れた方々で本当に素晴らしかったです。

そして、もともとの自助グループ、セルフヘルプとは、基本の考えの中に
・互いに対等であること、互いに尊重すること

というのがあるが、これがなされて無い自助グループ、セルフヘルプはたくさんある。



↓ピア カウンセリング内容について記載のある参考サイト
http://www.akita-kenmin.jp/s-shien/contents/piakan/piakan.htm

・ピア → 同じ仲間、障害者、同じ背景を持つ人同士。

・ピア・カウンセリング
→ 同じ背景を持つ人同士が対等な立場で話を聞き合う。
  
・ニューアンドグッズ
→ 新しく発見したこと。楽しかったことなどを話すこと。
  
・セッション
→ 共に決めた時間を対等に分け合って、交互にカウンセリングをしあうこと。
    
・ロールプレイ
→ 自分がぶつかっている問題を再現する模擬劇。劇によって自分の意志を伝える。
    
・デモンストレーション
→ セッションやロールプレイのやり方を、みんなの前で実演して見せること。
    
・シンク アンド リッスン
→ 3人以上の人があるテーマに沿って、時間を対等に分け合って意見を述べ合う。その際、聞き手は途中で意見や質問を差し挟まずに、相槌を打ちながら丁寧に聞く。
    
・ディスチャージ
→感情が表に出ること。泣く。怒る。震える。汗をかく。笑う。あくび等。
   
・パターン
→ディスチャージされないまま傷が残った結果、傷ついた時の苦しい感情や思考不能な状態がパターンになって回りだし、似たような場面になると、そのパターンが表れて、柔軟な対応が出来なくなる。
   
・コントラディクト
→ その人の本質を否定している状態(パターン)をカウンセラーが否定して、クライエントの本質を引き出すための働きかけ。
   
・クロスネス
→ 触れること。抱きしめること(ハグ)。
   
・テンションバック
→ カウンセリングが終わった時、クライエントを現実に引き戻すためにカウンセラーが簡単な質問をすること。
   
・アプリシェーション
→ 賞賛(誉めること)。相手に自信を持ってもらって、自己信頼につなげられるように相手を誉めること。
   
・コミットメント宣言。
今やりたいこと。やってみたいことを話すこと。
    
・RC
→ Re-evaluation Counseling . 再評価のカウンセリング。 


2008年05月03日

自己愛変質、自己中心的思考、自己愛人格傾向(モラルハラスメント関連)

自己愛 変質、自己中心的思考、自己愛人格傾向・・・について(モラルハラスメント関連)

-モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない
マリー=フランス イルゴイエンヌ (著), Marie‐France Hirigoyen (原著), 高野 優 (翻訳)

マリー=フランス イルゴイエンヌさんの講演会の記録から

モラル・ハラスメントの加害者が、どうやって生み出されるかについては、幼少期にどのような教育を受けたかが大きいのです。

加害者として多く見られるケースは、本人自身が幼少期にモラハラ(精神的暴力)の被害者であった場合や、もしくは溺愛崇拝され、制限がなかったタイプのケースがあります。

私はそのような事象はすべて関連があると思っております。家庭内暴力も職場におけるハラスメントも同じだと思います。そのため暴力の様々な形態にも興味をもっており、家庭内暴力もそうです。

幼少期に制限を知り、他者への敬意や配慮・尊厳を学ばせるという教育が大事なのです。

マリー=フランス イルゴイエンヌさんの講演会記録のお話を読み、いつも思うこと、暴力から暴力が生まれ、支配から支配が生まれ・・、溺愛崇拝からは溺愛崇拝と・・・、


人というのは、育った中で自分がされてきたこと、教わったことを身につけてくるんですよね・・

なので、育った過程の中で、他者への敬意や配慮・尊厳を学ばせるという教育がなければ、他者の人格というのも考慮しない人になる可能性はあると私も思います。


子供自身が親から、敬意や配慮・尊厳を、受けることが出き、そして他者にも敬意や配慮・尊厳する事を親から学ぶ。自分が親からされた、敬意や配慮・尊厳を実感としても体感し学び、そして他者へも、敬意や配慮・尊厳を持った関わりをする。 その関わりに自己中心的思考は見当たらない。


自己中心的思考者は、自分への敬意や配慮・尊厳は要求するが、他者へはしない。自己中心的思考者が他者へすることは、自分中心になる為の支配とコントールが主な関わり。自己中心的思考者は、常に自分。自分がどれだけ優位か、他人がどれだけ利益になるかが重要のようだ・・・



私の知ってる、モラハラさんは
「自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない」

と自己評価の低いある人に、偉そうに言い放ってたのを覚えています。

私にはとても抵抗感がありました・・・。私が感じたのは、

「自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない」と言ってるモラハラさんが(以下その人)自身が、人を大事にしていない・・・と感じる事が多かったからかもしれません・・

人を大事にするというのは、どういう事なのだろうか・・

その人がいつもしている
自分のお気に入りの人や自分にとって得になる人だけを大事にすることだろうか・・?
その人がいつもしている人との関わり方というのは、どうもいつも差別感を感じていたので、


私にとって人を大事にするというのは、尊重だと感じてるので、その人への偏った関わり方に、大事にしているとは私は感じることが出来なかったので、とても違和感があった。



自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない・・・?

違う、違う、私はそう思わない。というかその言い方がなんかおかしい。


大事に思われて育った経験の無い人は、
他者を大事にすることが、どういうことかわからない・・

だからと言って、自己中心的な自分達さえ良ければよいという、偏った考えからくる大事にされた・・という育ちなら、人へも同じように偏った関わり方になる・・・・


イルゴイエンヌさんが言うように、

他者への敬意や配慮・尊厳が基本にある育ちなら、自分も他者の人も含め敬意や配慮・尊厳の気持ちが育つ。

全ては、どのように考えて生きてきたか・・?だと思う・・・



相手を思うときの動機は何か?

・相手の気持ちを思いやることからくる動機か?

・自分が中心でいたい、優位でいる為の動機か?

どのような動機か・・・?


自分が常に中心でいたい、常に優位でいたいと思ってる人が言う、

「自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない」


なんて言葉・・・。
まったく、よく言えたもんだ・・と思う。


「妻が夫への口のきき方が悪いから、妻は暴力を受けるのよ」
「DVなら警察に届ければいいじゃない」

と、暴力ということに対しても、冷ややかに簡単に話すことしかできない人だ。人の尊重や配慮は感じられない。

この人から「人を大事にする」という事を学びとれる事は出来ない。


人を自分中心の為に、支配しコントロールすることが思考の中心にある人に、「人を大事にする」という事を学びとれる事は出来ない。

暴力というのは、人を支配しコントロールする為の、腕力のある人にとっては、ある意味手っ取り早い、人を自分の思い通りにさせる、コントロールする、支配する為の方法です。そんな事も気がつかない人に、「人を大事にする」という事を学びとれる事は出来ない。


参考にさせて頂いた講演会の記録
www.morahara.org/news_letters/no.1.pdf

2008年04月23日

現実を知ろうともしない、痛みに気づかない、無責任さ

インターネットのマイナス要因がしばしば取り上げられます・・・

インターネットのマイナス要因・・、
匿名でありながら色んな人と交流できるというのは、確かに危険な要因です。それは充分わかります・・・。

ならば、インターネットの利点は?というと、色んな情報が読めること・・・

今まで、本や講義や講演会などでしか得られなかった情報が、ネットを通じで得られるようになってきた。

例えば医療に関して言えば、病状・症状についても、またいろんな患者さんの治療経験を読めたり出来るので、病気に対する知識も増え、病気に対しての無知からくる不安や、合わない治療を続けることへの病状の悪化などもだいぶ防げるようになったのではないかと思う・・。


今まで、本や講義や講演会などでしか得られなかった情報が、ネットを通じで得られるようになってきた

子供が幼児期の時は、インターネットが開通されたばかりで、今ほど情報は無かったので、当時の私は、本や講義や講演会で育児の話などを聴いて参考にしたりした。

子供が幼児期の当時の頃は、講義や講演会で話を聴いてる中でも、自分ではちょっと違和感を感じる話もしばしばあった。

その違和感というか矛盾に感じるその話の内容に、疑問を持つ人と、

それでも、経験豊富の○○先生の話だからだとか、育児関連を長くやってきた○○さんの話だから・・という事だけで、信じる人と、

大きくわけるとこの2つにわかれますが、大概は経歴や肩書きだけで信じる人多いですね。まあそれは心情としては、充分わかります。



こんな事を言う人がいました。

「夫が妻に暴力を振るうということについて、
奥さんの言い方が悪いから、夫の暴力行為を助長するのよ」
「何かあったら警察を呼べばいいでしょ」

DV(ドメスティックバイオレンス)法が出来ても、上記のような考えを平気で言える人がまだまだいました。
(しかも、女性でこういった考えを持つ人がいるということ・・・)

私へモラハラした人がまさにこれを言ってました。
とても冷たい表情で言ってたのが、すごく印象に残っています。
それに、いくらDV法が出来たからと言って、警察を呼べば済むというほど簡単ではないはずなのに平気で言える。
私へモラハラした人は、人の心理に関わる職業をしてるのですが、冷淡な言い方を平気で出来る。そういう人が、人の心理に関わる職業をしていたりする。

世の中って学歴があれば、こうやってなんとかなっってます
それと、場面や人が変われば、途端に変貌できる器用さが多少あれば、人の気持ちなんて対してわからなくても、充分やってけます。

だから、人の心なんてわからなくても、とりあえず勉強して学歴つけて・・。
人間関係は、自分が損しない付き合いが出来てればOKというね。。
そんなおかしな考えが浸透しちゃうのもわかりますね。
だってそんな人がたくさんいるんだもん。



私は、もうずっと前から児童虐待関連の本は読んではいました。
衝撃的な事件があった時に、それについての背景を知りたくなり、ある本を読んで、虐待の影響を知り、それがきかっけで虐待関連の本を読んだりしてました。
そしてモラルハラスメント、機能不全家族、アダルトチルドレン、共依存・・・
どれも関連のある内容ですが、

まず、機能不全家族の中には、しばしば家庭内暴力の話が出てきます。そしてこれらの話の中で必ず言われるのは

「暴力を振るってる父を見て、男の子は暴力で人を支配する事を覚える」

「暴力を振るってる父を見て、女の子は暴力を受ける事は自分が悪いからだという事を覚える」


つまり、暴力は連鎖するんです。
虐待が、虐待を生むように。悪は悪を呼びますから。



「夫が妻に暴力を振るうということについて、
奥さんの言い方が悪いから、夫の暴力行為を助長するのよ」


という言葉が、どれだけ無責任で人を傷つける言葉であるか、と思います。

現実を知らないから、痛みに気づかない、無責任な言葉をあちこちにばらまいています。


でも、
今は、インターネットの時代で、暴力は暴力しか生まないという話があちこちで書かれています。ですから、こんなこと、無神経すぎて平気で言えない、


どこかで気が付けば、まあ多少の修正はしてると思います。

言葉を修正するだけ、でしょうけど・・・

その言葉で、相手を傷つけてきたことは、全く覚えて無いでしょう。。


世の中って学歴があれば、こうやってなんとかなっってます。
だから、人の心なんてわからなくても、とりあえず勉強して学歴つけないと・・いうおかしな考えが浸透するのは、当然です。

心よりも、肩書きや経歴、学歴です。
心を磨かなくても、肩書きや経歴、学歴があれば人から信頼されます。


そういえば、最近エリートの象徴である、官僚や
家柄の象徴である、伝統の老舗の店での偽装などで、逮捕や解任など出てますけど、

氷山の一角かもしれません・・

身近には、たくさんの信頼出来ない権威を、
信頼している人達もいますから・・・


例えば、その人の一見穏やかに見えるその雰囲気とは、
全く別の冷酷さを、見たことが無い人には
ただの良い人に見えるかもしれません。

ヘタすると、包容力のありそうな人とかね・・
もう、こういう光景は、バカバカしくて、
これ以上、偽善なお芝居は、見たくないので、私はそういった場からは退場するのみです。

2008年04月22日

モラルハラスメントと機能不全と自己愛性人格(障害)

モラスハラスメントは、人間関係の中で起こる出来事なので当然いろんなパターンがあると思うけど、会社の上司が行うモラハラは、その上司じたいにも何かしらのストレスがあり、そのストレスを部下に発散させるような、簡単に言えばヤツ当たりみたいな印象があります。

なので、上司のこのストレスが軽減されれば、上司のモラハラも軽減されたりします。これが、ストレス習慣型のモラルハラスメントだと思います。


そして、自己愛性格型(自己愛性人格障害、自己愛変質、自己理解のゆがみ)のモラルハラスメントの方がなぜ深刻かというと、

自己愛性格型の人は、家族暦、生きてきた人間関係、その長い年月をかけてその人格に出来上がってきた人なので、上司のストレスのように、長くてもここ数年のストレスとは訳が違うのは当然です・・・



自己愛性格型(自己愛性人格障害、自己愛変質、自己理解のゆがみ)人は、その自信にあふれた姿が、時には魅力的に見えます。また同時に、学歴や経歴があり、そこそこの上流家庭育ちであれば、お嬢様、お坊ちゃまとして、ほとんど気苦労というものから遠ざかって生きてこれたりします。

でも、自己愛性格型(自己愛性人格障害、自己愛変質、自己理解のゆがみ)の人、自己愛人格障害、の人は自分を本当に愛してないとも聞きます。なぜなんでしょうか・・

そもそも「愛」ってどういう意味なんでしょうかね・・・・??

自分さえ良ければよいというのは、愛か?
自分は、いつだって悪くないと思えるのは、愛か?
自分に都合の良いことだけ解釈し、相手の心の傷付きには気が付く事が出来ないのは、愛か?

そもそも自己愛なんていう言い方が、誤解を招く気がすると思う・・

自己愛じゃなくて、

自己中心的思考じゃないか・・・?

って思うけど。


愛というのは、どんな事も大きな器で受け入れるとする意味ならば、

本当に自分を愛してる人は、自分に降りかかることをちゃんと感じて、自分にとって耳の痛い事でも、背けずに認めることではないか?

例えば、自分にとって耳の痛い事でも、背けずに認めることとは、これは責任感につながる。

いわゆる自己愛の人がよくやる、依存的で自分の行動に責任を持たないというのとは、対極にある。

なぜ、対極か・・、

本当に自分を愛してる、大事にしている人は、人としての心の成長を心から望んでいるからだと思う。


自己愛の人がよくやる反省とは、身近な直接の相手には感謝したり、礼をつくしたりする事ではない。生身の人間には、頭を下げたりしないのだ。特に自分より下だと思ってる相手に対しては特にね・・。 教会に行って聖書を読んで、懺悔してることで心の成長が得られてると思ってる。

自己愛の人は、自分は特別だと思ってるので、自分にとって特別な人にしか、謝らないし、反省もしない。、自分は特別だと思ってるので、自分にとって特別な人、特別なこと以外は、どうでも良いのだ。
これが、世間で言えば、弱肉強食であったり、モラハラであったり、パワハラであったりもする。

心の成長とは、身近の人に対しての、思いやりだったり、感謝だったり、礼を述べることだったりすることなのに・・・。


なぜ、アルコール依存の自助グループに、「ACのための12ステップ」と「AAの12の伝統」など、霊的成長などという、考えがあるのか・・




人間としての成長を心から望むとは、

自分さえ良ければよい、ではない
自分は、いつだって悪くない、ではない
自分に都合の良いことだけ解釈し、相手の心の傷付きには気が付く事が出来ない、ではない

人を落と入れて、そして自分が優位にいることで、自分の安心感を得ること、ではない
常に自分が上の立場でいるということに、自分の安心感を得ること、ではない


人間としての成長を心から望む人は、人を落と入れる事で、自分の安心感を得ることなんて出来ない。そんな事したらむしろ罪悪感でいっぱいになる。

人間としての成長を心から望む人は、自分が上の立場でいるということに対し、人の上に立つというのは、どれほどの人たちの思いや思考を受け止めることが出来るのか・・、どれほどの大きな責任感があるのか・・と感じる。 
高い位置の椅子に座って、ふんぞり返ってるような昔話に出てくる王様のような事なんてしない。


愛とは、心の成長を促す為の意志や努力する姿なんじゃないか・・と思う。


親が、子供を育てる姿にも当てはまる・・・
親という立場を利用して、子供を支配しコントロールすることじゃない。
子供の思いや思考をどれだけ受け止められるか、親として責任をもって育てること、その努力してる姿が愛じゃないの?

子供を育てる事に、子供に恩を着せ、自分のストレス解消にしてたりする。
変に我慢すると、恩着せ構しくなったりしない?・・・と思うけど、恩着せ構しさに愛は感じられないよ。

お母さんだって、大変なんだよって言っていいと思う。
言い方を工夫すればいいんだね。難しいかもしれないけど・・。
(↑これは、もちろん、自分に対しての言葉)



自己愛性格型(自己愛変質、自己理解のゆがみ)の人、
自己中心的な人の、一部の人の中には、

家柄、学歴、世間体、地位、経歴、などで、幸せや安心感を感じて生きてきた人もいると思う。


庶民は、そもそも家柄、世間体、地位、経歴、などあまり持ってない。せいぜい持ってるのは学歴や職歴くらいか? 庶民の間では、人間としての成長もある程度もってないと人して信頼してもらえなかったりする。

でも、家柄、学歴、世間体、地位、経歴、があれば、それほど人間としての努力や成長が無くても、信頼してもらえる。高い位置の椅子に最初から座ったまま、そこそこ生きていける。

だから、ストレスの感じ方も発散の仕方も、庶民とちょっと違うんだよ。
実際に、インテリの方がダブルバインドの使い手が多い。

(上流の方全ての事じゃないです。一部で感じた事です)


庶民は、ストレスに対して、赤ちょうちん行ったり、カラオケ行ったり、そもそもかっこなんかつけない。だってもともと別にかっこ良くないもん。偉くない。
庶民は最初から底辺をさまよってるので、上位席に居なくても不安にならない。
王様の気分を味わった事無いので、別に王様席にはこだわらない。


でも、生まれ育ったところが上流なら、上から眺めるばかりだろう。
小さい頃から、上から眺める環境で生きてきた。
ずっと、上位に居るから、上位から降りる事にとても不安を感じてる

その自分の負の感情を、出来るなら悪い印象を周囲に感じさせないで、
弱い者へ、そのツケをまわしてくる。

その状況が、モラスハラスメントと機能不全と自己愛人格、どれにも当てはまってしまう。


下流の場合、パワーハラスメントに行きやすいのかもしれないけど・・・
どっちがマシか?なんて・・比べるもんじゃないとは思う。

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