2008年08月25日

自分に厳しい人、自分に甘い人

機能不全からの回復、AC(アダルトチルドレン)やアディクション(依存)をテーマにした自助グループに行ってる・・。

4年前、過食での15kgの急激な体重増加、不眠、強迫観念、フラッシュバック・・・それを起していた時、「私が人間として未熟だから、このようなストレスになるんだ・・。今はこれを何とか乗り越えないと・・」と思っていた。

だから、必死に心の痛みを我慢した。もちろん、不眠、強迫観念、フラッシュバックがあるので、メンタルクリニックに行き安定剤も貰ったりもした。でも薬は、一時的な対症療法にしかならないのを知ってたので、薬を飲んで良くなるとは思わなかった・・

だって、虫歯で歯が痛いとき、痛み止め飲んでも、薬の効果が切れたらまた歯が痛むでしょ。それと同じ。心も安定剤の効果が切れたら、また情緒不安定になるよ。原因を何とかしなければ、変わらない。でも原因については、我慢しろで通してきた・・。というか、「我慢しろ」と言われてきた。

心の痛みに、心の痛み止めとしての安定剤飲んで良くなると言う人ばかりじゃない・・・・。
特に、ACや、心のとらわれを抱えてる依存になりやすい人に、薬は新たな依存にしかなら無いよ・・。だから、心も知らずに、安易に薬を飲んだの?とか言うヤツはやなんだよ。



2年目経ち、ダイエットが成功して体重を戻した・・。
ついでに年々頭痛・肩こり・ドライアイが酷くなってきたので、煙草も辞めた・・。食事内容も健康的な菜食中心にし、煙草を辞めたので、ウォーキングもしやすくなり、運動しながらストレス解消など・・、ここまで健康的な生活が出来ている自分は、もう大分回復してるのだろう・・と思っていた。

でも私の本当の問題は何も良くなっては無かった・・・。それは感じていた。だからそれを何とかしない限り、またいつかは過食になるかもしれない、煙草は辞めてもアルコール依存になるかもしれない・・と思っていた。

ACの自助グループで、
「今まで自分一人で、この大変な状況を乗り越えられる、何とかなるとやってきたんでしょ・・。でも、もう無理しなくていいんだよ・・・。頑張らなくていいんだよ・・」
と言われ、まずはここは、安心出来る場所かもしれない・・・・と思った・・


私が精神不安定になる関係で、よく聞かされるセリフが
1.「ぶーにゃさんはしっかりしてるんだから、わかってあげないと。受け入れるべき。」
2.「○○さんは、大変な人だから、わかってあげないと。受け入れるべき。」
3.もしくは、一方的にアドバイスされたりすること。

1、2、3、のこのやりとりは、ACの親子や機能不全の関係とすごく似てる・・・。機能不全の関係とは、基本的に互いの尊重は無い。一方的な関わりだから、互いの気持ちを折り合いするような話は出来ない。「互いの尊重の為の話し合いが出来ない、もしくは話し合いをしているように見えても、それは相手を心理的に操作する為の話し合いだったりする」というのが、機能不全である


一方的に我慢を強いてくる関係・・・。
立場の逆転(下の者が上の者を気遣いつつ、責任も下の者が取らされるような感じ)
矛盾なこと、理不尽だと感じてもそれについて話し合いをしてはいけない雰囲気。
ダブルバインドも、もちろんあったから、

私の心のキャパシティー(能力)を越えた要求をされ、私は自分の心のバランスを取る為に、過食に走った。

「自分では納得してない事に我慢してんだ! だから、我慢した分、自分の心が要求不満だ! 心が満たされない!! だからせめて腹を満たしてやれ!!」

なんかそんな感じで、過食のスイッチが入って行った・・・。




矛盾や理不尽を感じてるのに、それについて話し合いは出来ない。
話し合いは無いまま、不可解と納得のいかないまま、受け入れるべきとなる・・
そういった状況になると、私にとっては、ある意味一種の心のどこかのスイッチを押す事になる・・・

ACでアディクション(依存)の傾向のある人は、そんなもんなんだ。。。。

ずっと抱えてきたもの、ずっと刷り込みを受けてきたことがあるから

ある言葉や、ある関係は、ACでアディクション(依存)のある人にとっては、心のどこかのあるスイッチを押すになってしまう・・・

そのスイッチは、煙草かもしれない、過食かもしれない、アルコールかもしれない、人間関係の共依存かもしれない、引きこもりかもしれない、ゲーム依存かもしれない。


・・・・

私は「自分に厳しくしてきた・・」だから、「自分に甘いヤツを受け入れる事はできない」
だから、私は、、「自分に甘いヤツ」特に「自己愛人格傾向のヤツ」はすぐわかる。

それじゃあ、「自分に厳しい」、という自分の考え方、生き方の癖を取り払えば、、「自分に甘いヤツを気にしなくて済むか?」と言われれば・・・わからない・・・


だって、そもそも「自分に甘いヤツが」、「自分に厳しくなれる素質のヤツ」をうまいこと見つけて、刷り込み開始、心理的操作(支配とコントロール)、共依存開始なんだよ・・・・。

許せるかどうかはわからない・・・


自己愛者は、自分の都合で動いてくれる共依存者はうまく見つけるけど、自分の体を苛める依存はしないんだよ。 だから、、自分の体や心を苛める依存者達みたいに、病院送りにもなかなか、ならないのだ。

まだまだ、自己愛者達には怒りを持ってる。
というか今は怒りたい時間だけ、いくらでも怒らせて欲しい。

2008年08月23日

ピア カウンセリング 公平な時間と人権の尊重

ある自助グループを知って、知ることによりかえってその内容に疑問を持ち?、その関係の中でダブルバインドを知り、モラルハラスメントを知って、機能不全を知り、

機能不全から、AA 12 の ステ ッ プ(自助グループが始まりとなる相互援助の活動の中の約束)を知り、本当の意味で対等に語り合う、人権を尊重した語り合いとは?と調べているうちに、ピア カウンセリングにたどりついた・・

そして、ピア カウンセリングの公開講座に参加させてもらいました・・

内容は、
ニューアンドグッズ
→ 新しく発見したこと。楽しかったことなどを話すこと
セッション
→ 共に決めた時間を対等に分け合って、傾聴しあう

・リレーション(関係作り)
・ピア・カウンセリングとは(ピアとは?)
・人間の本質と感情の解放

などやりました・・・。



共に決めた時間を対等に分け合って、傾聴しあう心地良さに、私はとても安心感を覚えました・・。

確かに話す時間は限られてるているんです。3分〜5分のたったの数分です。それでも、私が話している間、聴いてる方は、口出しは一切してはいけません。ただ傾聴するのみなんです。

相手の言葉の突っ込みで思うように話せない時がある私には、3分〜5分のたったの数分でも、自分の思いを何の批評も評価も無く、ただただ聴いてくれる・・、にとても安心感を感じるとともに、

ありのままでいいんだよと・・言う、尊重と
時間を公平に分け合い話すと言う、
偏りの無い関係、偏りの無いコミニュケーションを、

本当に今まで随分として来なかった・・

こんなに公平で人の思いの尊重を感じ、安心して話せる・・そんな時間を今までどれだけ持てたことがあるか・・??と思うと、涙が出てきます・・・


子供が発達障害と診断受けてから、12年経ちましたが、どの講演会・講座よりも暖かく、心にたくさんの力をくれた気がしました。

ピア カウンセリング講座の講師さんも本当に人格の優れた方々で本当に素晴らしかったです。

そして、もともとの自助グループ、セルフヘルプとは、基本の考えの中に
・互いに対等であること、互いに尊重すること

というのがあるが、これがなされて無い自助グループ、セルフヘルプはたくさんある。



↓ピア カウンセリング内容について記載のある参考サイト
http://www.akita-kenmin.jp/s-shien/contents/piakan/piakan.htm

・ピア → 同じ仲間、障害者、同じ背景を持つ人同士。

・ピア・カウンセリング
→ 同じ背景を持つ人同士が対等な立場で話を聞き合う。
  
・ニューアンドグッズ
→ 新しく発見したこと。楽しかったことなどを話すこと。
  
・セッション
→ 共に決めた時間を対等に分け合って、交互にカウンセリングをしあうこと。
    
・ロールプレイ
→ 自分がぶつかっている問題を再現する模擬劇。劇によって自分の意志を伝える。
    
・デモンストレーション
→ セッションやロールプレイのやり方を、みんなの前で実演して見せること。
    
・シンク アンド リッスン
→ 3人以上の人があるテーマに沿って、時間を対等に分け合って意見を述べ合う。その際、聞き手は途中で意見や質問を差し挟まずに、相槌を打ちながら丁寧に聞く。
    
・ディスチャージ
→感情が表に出ること。泣く。怒る。震える。汗をかく。笑う。あくび等。
   
・パターン
→ディスチャージされないまま傷が残った結果、傷ついた時の苦しい感情や思考不能な状態がパターンになって回りだし、似たような場面になると、そのパターンが表れて、柔軟な対応が出来なくなる。
   
・コントラディクト
→ その人の本質を否定している状態(パターン)をカウンセラーが否定して、クライエントの本質を引き出すための働きかけ。
   
・クロスネス
→ 触れること。抱きしめること(ハグ)。
   
・テンションバック
→ カウンセリングが終わった時、クライエントを現実に引き戻すためにカウンセラーが簡単な質問をすること。
   
・アプリシェーション
→ 賞賛(誉めること)。相手に自信を持ってもらって、自己信頼につなげられるように相手を誉めること。
   
・コミットメント宣言。
今やりたいこと。やってみたいことを話すこと。
    
・RC
→ Re-evaluation Counseling . 再評価のカウンセリング。 

2008年05月03日

自己愛変質、自己中心的思考、自己愛人格傾向(モラルハラスメント関連)

自己愛 変質、自己中心的思考、自己愛人格傾向・・・について(モラルハラスメント関連)

-モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない
マリー=フランス イルゴイエンヌ (著), Marie‐France Hirigoyen (原著), 高野 優 (翻訳)

マリー=フランス イルゴイエンヌさんの講演会の記録から

モラル・ハラスメントの加害者が、どうやって生み出されるかについては、幼少期にどのような教育を受けたかが大きいのです。

加害者として多く見られるケースは、本人自身が幼少期にモラハラ(精神的暴力)の被害者であった場合や、もしくは溺愛崇拝され、制限がなかったタイプのケースがあります。

私はそのような事象はすべて関連があると思っております。家庭内暴力も職場におけるハラスメントも同じだと思います。そのため暴力の様々な形態にも興味をもっており、家庭内暴力もそうです。

幼少期に制限を知り、他者への敬意や配慮・尊厳を学ばせるという教育が大事なのです。

マリー=フランス イルゴイエンヌさんの講演会記録のお話を読み、いつも思うこと、暴力から暴力が生まれ、支配から支配が生まれ・・、溺愛崇拝からは溺愛崇拝と・・・、


人というのは、育った中で自分がされてきたこと、教わったことを身につけてくるんですよね・・

なので、育った過程の中で、他者への敬意や配慮・尊厳を学ばせるという教育がなければ、他者の人格というのも考慮しない人になる可能性はあると私も思います。


子供自身が親から、敬意や配慮・尊厳を、受けることが出き、そして他者にも敬意や配慮・尊厳する事を親から学ぶ。自分が親からされた、敬意や配慮・尊厳を実感としても体感し学び、そして他者へも、敬意や配慮・尊厳を持った関わりをする。 その関わりに自己中心的思考は見当たらない。


自己中心的思考者は、自分への敬意や配慮・尊厳は要求するが、他者へはしない。自己中心的思考者が他者へすることは、自分中心になる為の支配とコントールが主な関わり。自己中心的思考者は、常に自分。自分がどれだけ優位か、他人がどれだけ利益になるかが重要のようだ・・・



私の知ってる、モラハラさんは
「自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない」

と自己評価の低いある人に、偉そうに言い放ってたのを覚えています。

私にはとても抵抗感がありました・・・。私が感じたのは、

「自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない」と言ってるモラハラさんが(以下その人)自身が、人を大事にしていない・・・と感じる事が多かったからかもしれません・・

人を大事にするというのは、どういう事なのだろうか・・

その人がいつもしている
自分のお気に入りの人や自分にとって得になる人だけを大事にすることだろうか・・?
その人がいつもしている人との関わり方というのは、どうもいつも差別感を感じていたので、


私にとって人を大事にするというのは、尊重だと感じてるので、その人への偏った関わり方に、大事にしているとは私は感じることが出来なかったので、とても違和感があった。



自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない・・・?

違う、違う、私はそう思わない。というかその言い方がなんかおかしい。


大事に思われて育った経験の無い人は、
他者を大事にすることが、どういうことかわからない・・

だからと言って、自己中心的な自分達さえ良ければよいという、偏った考えからくる大事にされた・・という育ちなら、人へも同じように偏った関わり方になる・・・・


イルゴイエンヌさんが言うように、

他者への敬意や配慮・尊厳が基本にある育ちなら、自分も他者の人も含め敬意や配慮・尊厳の気持ちが育つ。

全ては、どのように考えて生きてきたか・・?だと思う・・・



相手を思うときの動機は何か?

・相手の気持ちを思いやることからくる動機か?

・自分が中心でいたい、優位でいる為の動機か?

どのような動機か・・・?


自分が常に中心でいたい、常に優位でいたいと思ってる人が言う、

「自分を大事に出来ない人は、人を大事にすることは出来ない」


なんて言葉・・・。
まったく、よく言えたもんだ・・と思う。


「妻が夫への口のきき方が悪いから、妻は暴力を受けるのよ」
「DVなら警察に届ければいいじゃない」

と、暴力ということに対しても、冷ややかに簡単に話すことしかできない人だ。人の尊重や配慮は感じられない。

この人から「人を大事にする」という事を学びとれる事は出来ない。


人を自分中心の為に、支配しコントロールすることが思考の中心にある人に、「人を大事にする」という事を学びとれる事は出来ない。

暴力というのは、人を支配しコントロールする為の、腕力のある人にとっては、ある意味手っ取り早い、人を自分の思い通りにさせる、コントロールする、支配する為の方法です。そんな事も気がつかない人に、「人を大事にする」という事を学びとれる事は出来ない。


参考にさせて頂いた講演会の記録
www.morahara.org/news_letters/no.1.pdf

2008年04月23日

現実を知ろうともしない、痛みに気づかない、無責任さ

インターネットのマイナス要因がしばしば取り上げられます・・・

インターネットのマイナス要因・・、
匿名でありながら色んな人と交流できるというのは、確かに危険な要因です。それは充分わかります・・・。

ならば、インターネットの利点は?というと、色んな情報が読めること・・・

今まで、本や講義や講演会などでしか得られなかった情報が、ネットを通じで得られるようになってきた。

例えば医療に関して言えば、病状・症状についても、またいろんな患者さんの治療経験を読めたり出来るので、病気に対する知識も増え、病気に対しての無知からくる不安や、合わない治療を続けることへの病状の悪化などもだいぶ防げるようになったのではないかと思う・・。


今まで、本や講義や講演会などでしか得られなかった情報が、ネットを通じで得られるようになってきた

子供が幼児期の時は、インターネットが開通されたばかりで、今ほど情報は無かったので、当時の私は、本や講義や講演会で育児の話などを聴いて参考にしたりした。

子供が幼児期の当時の頃は、講義や講演会で話を聴いてる中でも、自分ではちょっと違和感を感じる話もしばしばあった。

その違和感というか矛盾に感じるその話の内容に、疑問を持つ人と、

それでも、経験豊富の○○先生の話だからだとか、育児関連を長くやってきた○○さんの話だから・・という事だけで、信じる人と、

大きくわけるとこの2つにわかれますが、大概は経歴や肩書きだけで信じる人多いですね。まあそれは心情としては、充分わかります。



こんな事を言う人がいました。

「夫が妻に暴力を振るうということについて、
奥さんの言い方が悪いから、夫の暴力行為を助長するのよ」
「何かあったら警察を呼べばいいでしょ」

DV(ドメスティックバイオレンス)法が出来ても、上記のような考えを平気で言える人がまだまだいました。
(しかも、女性でこういった考えを持つ人がいるということ・・・)

私へモラハラした人がまさにこれを言ってました。
とても冷たい表情で言ってたのが、すごく印象に残っています。
それに、いくらDV法が出来たからと言って、警察を呼べば済むというほど簡単ではないはずなのに平気で言える。
私へモラハラした人は、人の心理に関わる職業をしてるのですが、冷淡な言い方を平気で出来る。そういう人が、人の心理に関わる職業をしていたりする。

世の中って学歴があれば、こうやってなんとかなっってます
それと、場面や人が変われば、途端に変貌できる器用さが多少あれば、人の気持ちなんて対してわからなくても、充分やってけます。

だから、人の心なんてわからなくても、とりあえず勉強して学歴つけて・・。
人間関係は、自分が損しない付き合いが出来てればOKというね。。
そんなおかしな考えが浸透しちゃうのもわかりますね。
だってそんな人がたくさんいるんだもん。



私は、もうずっと前から児童虐待関連の本は読んではいました。
衝撃的な事件があった時に、それについての背景を知りたくなり、ある本を読んで、虐待の影響を知り、それがきかっけで虐待関連の本を読んだりしてました。
そしてモラルハラスメント、機能不全家族、アダルトチルドレン、共依存・・・
どれも関連のある内容ですが、

まず、機能不全家族の中には、しばしば家庭内暴力の話が出てきます。そしてこれらの話の中で必ず言われるのは

「暴力を振るってる父を見て、男の子は暴力で人を支配する事を覚える」

「暴力を振るってる父を見て、女の子は暴力を受ける事は自分が悪いからだという事を覚える」


つまり、暴力は連鎖するんです。
虐待が、虐待を生むように。悪は悪を呼びますから。



「夫が妻に暴力を振るうということについて、
奥さんの言い方が悪いから、夫の暴力行為を助長するのよ」


という言葉が、どれだけ無責任で人を傷つける言葉であるか、と思います。

現実を知らないから、痛みに気づかない、無責任な言葉をあちこちにばらまいています。


でも、
今は、インターネットの時代で、暴力は暴力しか生まないという話があちこちで書かれています。ですから、こんなこと、無神経すぎて平気で言えない、


どこかで気が付けば、まあ多少の修正はしてると思います。

言葉を修正するだけ、でしょうけど・・・

その言葉で、相手を傷つけてきたことは、全く覚えて無いでしょう。。


世の中って学歴があれば、こうやってなんとかなっってます。
だから、人の心なんてわからなくても、とりあえず勉強して学歴つけないと・・いうおかしな考えが浸透するのは、当然です。

心よりも、肩書きや経歴、学歴です。
心を磨かなくても、肩書きや経歴、学歴があれば人から信頼されます。


そういえば、最近エリートの象徴である、官僚や
家柄の象徴である、伝統の老舗の店での偽装などで、逮捕や解任など出てますけど、

氷山の一角かもしれません・・

身近には、たくさんの信頼出来ない権威を、
信頼している人達もいますから・・・


例えば、その人の一見穏やかに見えるその雰囲気とは、
全く別の冷酷さを、見たことが無い人には
ただの良い人に見えるかもしれません。

ヘタすると、包容力のありそうな人とかね・・
もう、こういう光景は、バカバカしくて、
これ以上、偽善なお芝居は、見たくないので、私はそういった場からは退場するのみです。

2008年04月22日

モラルハラスメントと機能不全と自己愛性人格(障害)

モラスハラスメントは、人間関係の中で起こる出来事なので当然いろんなパターンがあると思うけど、会社の上司が行うモラハラは、その上司じたいにも何かしらのストレスがあり、そのストレスを部下に発散させるような、簡単に言えばヤツ当たりみたいな印象があります。

なので、上司のこのストレスが軽減されれば、上司のモラハラも軽減されたりします。これが、ストレス習慣型のモラルハラスメントだと思います。


そして、自己愛性格型(自己愛性人格障害、自己愛変質、自己理解のゆがみ)のモラルハラスメントの方がなぜ深刻かというと、

自己愛性格型の人は、家族暦、生きてきた人間関係、その長い年月をかけてその人格に出来上がってきた人なので、上司のストレスのように、長くてもここ数年のストレスとは訳が違うのは当然です・・・



自己愛性格型(自己愛性人格障害、自己愛変質、自己理解のゆがみ)人は、その自信にあふれた姿が、時には魅力的に見えます。また同時に、学歴や経歴があり、そこそこの上流家庭育ちであれば、お嬢様、お坊ちゃまとして、ほとんど気苦労というものから遠ざかって生きてこれたりします。

でも、自己愛性格型(自己愛性人格障害、自己愛変質、自己理解のゆがみ)の人、自己愛人格障害、の人は自分を本当に愛してないとも聞きます。なぜなんでしょうか・・

そもそも「愛」ってどういう意味なんでしょうかね・・・・??

自分さえ良ければよいというのは、愛か?
自分は、いつだって悪くないと思えるのは、愛か?
自分に都合の良いことだけ解釈し、相手の心の傷付きには気が付く事が出来ないのは、愛か?

そもそも自己愛なんていう言い方が、誤解を招く気がすると思う・・

自己愛じゃなくて、

自己中心的思考じゃないか・・・?

って思うけど。


愛というのは、どんな事も大きな器で受け入れるとする意味ならば、

本当に自分を愛してる人は、自分に降りかかることをちゃんと感じて、自分にとって耳の痛い事でも、背けずに認めることではないか?

例えば、自分にとって耳の痛い事でも、背けずに認めることとは、これは責任感につながる。

いわゆる自己愛の人がよくやる、依存的で自分の行動に責任を持たないというのとは、対極にある。

なぜ、対極か・・、

本当に自分を愛してる、大事にしている人は、人としての心の成長を心から望んでいるからだと思う。


自己愛の人がよくやる反省とは、身近な直接の相手には感謝したり、礼をつくしたりする事ではない。生身の人間には、頭を下げたりしないのだ。特に自分より下だと思ってる相手に対しては特にね・・。 教会に行って聖書を読んで、懺悔してることで心の成長が得られてると思ってる。

自己愛の人は、自分は特別だと思ってるので、自分にとって特別な人にしか、謝らないし、反省もしない。、自分は特別だと思ってるので、自分にとって特別な人、特別なこと以外は、どうでも良いのだ。
これが、世間で言えば、弱肉強食であったり、モラハラであったり、パワハラであったりもする。

心の成長とは、身近の人に対しての、思いやりだったり、感謝だったり、礼を述べることだったりすることなのに・・・。


なぜ、アルコール依存の自助グループに、「ACのための12ステップ」と「AAの12の伝統」など、霊的成長などという、考えがあるのか・・




人間としての成長を心から望むとは、

自分さえ良ければよい、ではない
自分は、いつだって悪くない、ではない
自分に都合の良いことだけ解釈し、相手の心の傷付きには気が付く事が出来ない、ではない

人を落と入れて、そして自分が優位にいることで、自分の安心感を得ること、ではない
常に自分が上の立場でいるということに、自分の安心感を得ること、ではない


人間としての成長を心から望む人は、人を落と入れる事で、自分の安心感を得ることなんて出来ない。そんな事したらむしろ罪悪感でいっぱいになる。

人間としての成長を心から望む人は、自分が上の立場でいるということに対し、人の上に立つというのは、どれほどの人たちの思いや思考を受け止めることが出来るのか・・、どれほどの大きな責任感があるのか・・と感じる。 
高い位置の椅子に座って、ふんぞり返ってるような昔話に出てくる王様のような事なんてしない。


愛とは、心の成長を促す為の意志や努力する姿なんじゃないか・・と思う。


親が、子供を育てる姿にも当てはまる・・・
親という立場を利用して、子供を支配しコントロールすることじゃない。
子供の思いや思考をどれだけ受け止められるか、親として責任をもって育てること、その努力してる姿が愛じゃないの?

子供を育てる事に、子供に恩を着せ、自分のストレス解消にしてたりする。
変に我慢すると、恩着せ構しくなったりしない?・・・と思うけど、恩着せ構しさに愛は感じられないよ。

お母さんだって、大変なんだよって言っていいと思う。
言い方を工夫すればいいんだね。難しいかもしれないけど・・。
(↑これは、もちろん、自分に対しての言葉)



自己愛性格型(自己愛変質、自己理解のゆがみ)の人、
自己中心的な人の、一部の人の中には、

家柄、学歴、世間体、地位、経歴、などで、幸せや安心感を感じて生きてきた人もいると思う。


庶民は、そもそも家柄、世間体、地位、経歴、などあまり持ってない。せいぜい持ってるのは学歴や職歴くらいか? 庶民の間では、人間としての成長もある程度もってないと人して信頼してもらえなかったりする。

でも、家柄、学歴、世間体、地位、経歴、があれば、それほど人間としての努力や成長が無くても、信頼してもらえる。高い位置の椅子に最初から座ったまま、そこそこ生きていける。

だから、ストレスの感じ方も発散の仕方も、庶民とちょっと違うんだよ。
実際に、インテリの方がダブルバインドの使い手が多い。

(上流の方全ての事じゃないです。一部で感じた事です)


庶民は、ストレスに対して、赤ちょうちん行ったり、カラオケ行ったり、そもそもかっこなんかつけない。だってもともと別にかっこ良くないもん。偉くない。
庶民は最初から底辺をさまよってるので、上位席に居なくても不安にならない。
王様の気分を味わった事無いので、別に王様席にはこだわらない。


でも、生まれ育ったところが上流なら、上から眺めるばかりだろう。
小さい頃から、上から眺める環境で生きてきた。
ずっと、上位に居るから、上位から降りる事にとても不安を感じてる

その自分の負の感情を、出来るなら悪い印象を周囲に感じさせないで、
弱い者へ、そのツケをまわしてくる。

その状況が、モラスハラスメントと機能不全と自己愛人格、どれにも当てはまってしまう。


下流の場合、パワーハラスメントに行きやすいのかもしれないけど・・・
どっちがマシか?なんて・・比べるもんじゃないとは思う。

2007年12月05日

表面でしか見ない・断定的なのが嫌いな理由・・・1

少し前までは、いじめに逢ったことなんてそうそう人に話せることなんて出来なかった。親・兄弟・友達にも話さなかったこと、そう簡単に話せるわけないじゃないか・・って。。。

でも、今ではいじめの経験があったと告白する人も増えてきて、私もどこかでそれを外に出したくなった。閉ざしてきたこと、見ないようにした気持ちを隠してきた10代の日。
そうすることで、今度は強迫性や鬱が自分の心に生まれてくる。

必死に耐え、閉ざすことで、出てくるゆがんだ自分。
その辛さがどんなものかわかるか・・?って

それがわからないヤツに、いじめや不登校の何が理解出来るんだろう??と思う。

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私は小さい頃、公園で遊んでいるといつの間にか知らない子と仲良くなりいつもどこかに居なくなっていたと言われた。小さい頃から人見知りしないのは、今でも変わらない。

ただ、人見知りしないことで、痛い思いもたくさんしたので、今では多少の警戒はするようになった。

それでも、色んな人と隔てなく接するというのは根本にあるので、会などに行くと、明るくて、社交的で、自尊心も低くなるような嫌な思いを今までした事ないんだろう・・と思われるときがある。

明るくて、社交的で・・・、はそう言われて、もちろん嬉しいよ。

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でも、
自尊心も低くなるような嫌な思いを今までした事ないんだろう・・と思われるのは、コレに対しては勘弁してくれ・・と思う。

勘弁して欲しい。人を表面で見たり判断するのは。

必死に、頑張って、辛かったことは必死に閉ざしやってきた

そんなことしたことないヤツには、わからないだろう。

人の生い立ちをなめちゃいけないと思う


自分は、経験したことないから、わからない。
とか、
感性や考え方が違うからわからない

とか、いうのなら、相手と自分が違うというのだけでもせめて認めるべきだ

自分の都合の良い部分だけに、違うことを認めたり、受け入れろを要求したり・・
そういうのは、勘弁して欲しい。

人の気持ちや話も聞かずに、勝手に、断定的に、語ってるヤツを見ると腹が立つ。

なぜなら、

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2006年10月15日

J.D.サリンジャー ライ麦畑でつかまえて -- キャッチャー・イン・ザ・ライ

今まで時間があまり無かったので、小説は読まなくなってきたけど、村上春樹は大好きで昔は、よく読んだ。※フランツ・カフカ賞を受賞し、ノーベル文学賞候補とか聞くようになったりして、1ファンとして嬉しい。。。

子どもを妊娠する前までは、村上春樹好きで読んでいた。妊娠してからは、出産&育児関係の本しか読まなくなったので、「海辺のカフカ」や「ねじまき鳥クロニクル」とかはまだ読んでなかった。
子どもが診断されてから5年間くらいは、ずっと発達障害関連本ばかり夢中に読んでしまってて、仕事を再開してからは、本読む暇も無くなってて、好きで読んだのはハリポタくらいだもんね。


※フランツ・カフカ
「変身」「審判」など有名。人間の不条理について描かれている。話しの内容は、不条理というくらいなので、重い感じもあるのですが、読んでいて夢中にさせる。サルトルとカミュに絶賛された作家。私が思うに、サルトルとかカミュに絶賛されなければ、こういった話が好きな哲学好きな一部の人だけに好まれ、こんなに世に出なかったかも・・と思う。

アランドロンの「太陽がいっぱい」で、「太陽のせい」にするセリフは、カミュの「異邦人」と重なると言われていて、そこからカミュを読んだことがある。

カミュ・カフカを読んだ当時の自分は、サルトルは難しくて読めなかった、パスカルの「パンセ」は読んでた。パンセも不条理を問いている。デカルトもパスカルも数学者だけど、同時に哲学者でもある。哲学も数学も理論があって、ある方向性にそって進む。

人間は方向性(理想・目標)があるようで、不条理・矛盾もある。確かに。
でも、税金や年金を私利私欲に使われる不条理や矛盾は嫌なはず。不条理・矛盾と思われる戦争・侵略も嫌なはず。不条理・矛盾はある程度持ちながら生きてるけど、自分に不利益になる不条理・矛盾は、許せない。

どんな人にも、矛盾と不条理がある。人間は完全じゃないから。ただ、自分の矛盾と不条理を認めることが出来るのと、自分の矛盾と不条理を認めない、気がつかないでは、大きな違いが出てくると思う。


不条理・矛盾を認めたうえで、サリンジャーを読む。最近また好きな本を少しずつ読みたくなってきて、時間がありそうな時、図書館でちょこちょこ借りて読んでる。
村上春樹が、サリンジャーの「The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)」を翻訳したと聞いたときは、嬉しかった。でも村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はまだ読んでない。

家には、20年くらい前に買った野崎 孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」がある。
村上春樹→訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」→「ライ麦畑でつかまえて」の思考順で、久しぶりに、「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ。。

表紙に、ふざけた子どもの落書きのようなイラストが載ってる。
でも、この本には妙にあってる。誰のイラストよ?って見たら
「カバーデッサン−パブロ・ピカソ」だって。。
ピカソの絵の良さ、よくわからないんだけど、このイラストは
「ライ麦畑でつかまえて」にピッタリはまる。
(でも今出版されている「ライ麦畑でつかまえて」には、ピカソの絵はないらしい。)

今読むと、なんで「ライ麦畑でつかまえて」が好きだった本なのかわかった。
主人公が思うことは、自分が普段感じて思っていることと同じことが書いてあるからだ
今になってまた気がつく。


二十歳そこそこで、この本を読んだ時にも、今と同じこと思ったのだろうけど、
今でも、同じ感覚というのは、全然自分は変ってないんだと思った。

1つ.相手によって、態度が違うヤツが大嫌い。相手によって、態度が違うヤツはインチキ野郎だと思ってること。

2つ.自分に惚れているヤツ(自己愛が強いヤツ)は、他人も自分に惚れていると思ってるから、なんだか偉そうで、無神経に頼み事をしてくる。そういうのが気に入らない。

3つ.相手に何かをハッキリ言わなくてはいけない時、心が痛む事があること。
一見周りの目なんておかまいなしの個性なので、表面的には、自分中心人間に見えるけど心の中は全然そうじゃない。色んな人達をすごく観察してるから、心の中はどこか冷静。
だからその辺にウジャウジャいる、いわゆる大人の世界での、世渡り上手の偽善だらけの自己中大人には、いつまでたっても成長できない、というかそんな大人になりたいとは思ってない。

4つ.自分は、コイツは苦手だと思いながら、ソイツが一人でいると思うと、声をかけてしまう。
1.3の心理から、いろんな人を観察してる分、偽善者のやるような自分に都合のいい人間だけで付き合うというのがそもそも嫌だ。だから自分は、自分が苦手なヤツでも、自分に都合のいい利益だけを求めるような差別した付き合い方に反抗するかのごとく、その逆の付き合い方をする。
でも、そもそも苦手な相手だから、相手のクセの悪さに、また嫌気がさし、誘わなきゃ良かったかと後悔したりもする(笑)

5つ.たまに悪ふざけをしたくなる。これをやるから、周りの目を気にしない自己中心な人間、または不可解、ちょっとクレイジー?に見られてしまう。悪ふざけだけど、ただ子どもの時みたいに、無邪気にふざけたいだけ。ただ純粋でいたいだけ。
自分に都合よい計算して生きてくヤツラの行動に対して、反対のことをしてやりたくなる・・そんな感じに読めたけど?


大人の年齢に近づくにつれ、自分の利益を追求してるくせに、人の為にと善を装うそのずる賢さをたくさん見るようになってきて、それに対しての反抗心いっぱいの自分。
でも、友達がブラック・ジョーク?大得意だったんで、、この手のインチキ野郎達を面白話しに変えてくれてた。

そのせいか、ホールデンのインチキ野郎達に対しての言葉も、全部ブラック・ジョーク?的に読めて、かなり笑えた。
当時、ビートたけし(北野武)が好きだったのも、こういった感覚が好きなのかもしれない。
ナンシー関のエッセイからもなんとなく同じ感じを受ける。(ナンシー関も好き)

「ライ麦畑でつかまえて」は読んでて、面白い。笑えるところもいっぱいある。
今でも、この本読んで、楽しめる

相変わらず、青臭い自分。というかひねくれ者?


サリンジャー嫌いな人にとって、ジョン・レノンを撃った男のポケットに、「The Catcher in the Rye」のペーパーブックが入ってたことを、揚げ足とるかのように出してくるヤツもいるかもしれないけど、

サリンジャーが好きなヤツからして見ると、ジョン・レノンの事件を利用し、サリンジャーを批評する偽善者にしか見えないから。 

自分のことだけしか考えてないくせして、人の為と善意に見えるようにくるむのが上手なヤツがたくさんいる。「ライ麦畑でつかまえて」の訳本で言うと、インチキ野郎という表現になる。。。

「The Catcher in the Rye」は、人の不条理や矛盾には厳しく、自分自身の不条理や矛盾には全く気がついていない若者に、気がついて欲しい話しであって欲しい。>願望。


「ライ麦畑でつかまえて」「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んで、主人公=ホールデンの考え方がわからないという人もいるし、すごくわかる!!という人がいる。

ホールデンだって、嘘ばっかり言ってるのに、なんで他のヤツをインチキ野郎と言えるのか?と思う人いるかもしれないけど、ホールデンの嘘と、インチキ野郎の嘘は比べ物にならないよ。

ホールデンの嘘は、子どもが親に怒られるのが嫌で、学校のテストを隠すような嘘。でもすぐばれる嘘。
それに、大人は、「どう思ってるんだ?」と聞いておきながら、「自分の本当に思ったこと」を言っても聞いてくれない。大人が聞いてくれるのは、大人が喜ぶような話しだけだ。だから、大人が喜ぶようなことを言ってやる。そんな感じの嘘。
でも、自分の気持ちには嘘をつかない。だから見栄もはらないし、虚栄心もない。偽善も大嫌い。

でも、インチキ野郎の嘘は、もっと巧妙で、すぐにばれない嘘。
見栄をすぐにはり、虚栄心や偽善がいっぱい。自分の私利私欲の為に平気で嘘をつく。
私は、ホールデンのインチキ野郎達に対しての言い方がおかしいんでけっこう笑えたけどな。。
笑えない人は、このまんまのこと普段やってるから笑えないのかも?
それとも、大人の矛盾な行動に疑問を持たずに、そのまま大人の矛盾な行動を獲得してきたのかな?
笑えないかわりに、「くだらん、小説だ!」と思う人もいるかも。

ホールデンの嘘が、話しを聞いてくれない大人への嘘なら、

インチキ野郎の嘘は、年金や税金を、予算という衣に着せ替え、私利私欲で使ってきた嘘、そんな感じ。
ホールデンが言うインチキ野郎とは、一見、まともにやってるように見える衣に着せ替え、その衣の下では、私利私欲がいっぱいなそういうヤツラのこと


それと、ホールデンは批判ばかりと読み取る人いるけど、それ違うでしょ。
なんたって反抗期、思春期でしょ。色んなことが気にいらない年頃だよ。
ただあの観察眼はすごいと思うけど。
あと、若気の至り的な行動がたくさんあったけど、ホールデンはまだ16歳だから・・。
16歳らしい行動だと思うけど?
あの行動が理解出来なくてくだらないと思うのは、勝手だけど、
同時に若い子の気持ちも不可解かも?

インチキ野郎の世の中に嫌気がさしたホールデン。そんなホールデンを諭す大人達もいたけど、ホールデンの自暴自棄な気持ちを救ったのは、純粋無垢な妹フィービー。
そりゃそうだよ。純粋無垢な人しか、ホールデンを救えないって。
だって、ホールデンは大人になるまでに獲得してしまったそのずるさが嫌なんだもん。


ホールデンの風刺の効いた言葉を、更に面白く説明しているサイトがありました!
↓必見お薦め!
http://www.h4.dion.ne.jp/~every19/catcher.htm

2006年08月18日

8月15日、いつもこの時期になると・・・

8月15日、いつもこの時期になると戦争についての話題がテレビでも多くなり、戦争の話しに触れるたびに、もし、戦争中に息子を産んでいたら、息子は生きていけなかっただろうな。。と思う。
どんな人でさえ、生きていくのが難しい時代だからこそ、尚のこと。。。

発達障害の子育ては、大変な部分もあるし、生きていることさえも、すごくしんどいと思えてしまう時あるけれど、戦争の話しに触れるたびに、戦争の時代の生き地獄を知ったら・・、今の日本は、本当に平和だし、豊かだと思い、感謝さえ思えてしまう。

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私は、支配とかそういうのに、すごく敏感で、嫌っているのだけど、心を支配されるのが、一番嫌い。

表面的に、従う振りをするのは、社会で生活していく上では、ある意味必要だったりすることだと思う。

会社で、例えば上司に理不尽な指示を受けても、従う振りをしなければいけない時もあるから、こういうのは、仕方無い時ある。。

でも、自分の気がつかないうちに、いや、何となくおかしい・・・と、気がついているのだけど、行動全てを、ある思想や、ある者の考え方通りにそって行動し、生きていかなければならないとなったら、これはもう心の支配だと思う。。

戦争を始めるとき、戦争に同意する国民の感情の中には、一種のマインドコントロールになっている人も多いと思うと、戦争というのは、敵の国を力で支配しようとする前に、自分の国の国民の心を、まず支配(マインドコントロール)しないと、始まらないんだぁ・・・と思うと、

やっぱり、支配って大嫌いだ。

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私は、記憶に残りやすいんで、自分がすごく嫌だな〜とか、自分の心がすさむような発言をされる人からは、なるべくさっと離れるようにしているのは、自分の記憶が強すぎて、本当に、嫌な記憶が、心を支配してきちゃうんですよね。

嫌な記憶で、心をいっぱいにしたくないし、ほんとにそれは苦しいので、そういうところからは、ほんとに距離おいてます。

嫌なことに対して、相手に直接話すこともあるけれど、たいていそういうことする人は、自分のしたことと、相手の気持ちを分けて考えない人が多いから、話が余計にこじれて、もっと険悪で、さらにひどい事を言われたり、嫌な思いをする場合も多いので、相手に、そのことについて、直接話すのも、難しい場合ってあるんですよね。。

自分のしたことと、相手の気持ちを分けて考えないというのは、例えば、「あることに対して、これはちょっと傷ついたよ」って、話したとするよね。そうすると、「悪気があったわけじゃない」ということばかりで、相手がどう思ったか、相手の感情をまず考えるということをしないんですよね。。

常に、自分の考え・自分の感情が、主なので、話しが余計にこじれちゃう。「悪気があったわけじゃない、そう思うのは、あなたが悪く考えすぎだ」と言うのか、

または「私はひどい人間だよね。なんて私はダメな人間なんだろう」といきなりなってしまい、こちらがなだめる側になり、話がいつの間にか、すり替わったりするというのが、多いというのがあるので、話が余計にこじれるんで、

心がすさむような環境や相手に自分をおいて、変なエネルギー消耗するより、自分の時間や気持ちは、もっと良い意味で持っていたいので、まず「耳を疑うような??ことする」人には、話をしても、通じないな・・と思うことあるし、とにかく離れちゃいます。

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戦争の話から、それたかな・・
どうも、支配という言葉を思うと、ある過去の色んな記憶が、パァーーと、出てきちゃうんですよね。

先日、「フリースペースつくしんぼ」というサイトの管理人さんのブログを読んでいましたら、過去のブログで、戦争についてお話が載っていて、紹介されていたWEBサイトの書籍が、私もすごく印象が強かったので、同じものになってしまいますが、紹介させて頂きます

・戦争のつくりかた http://smile.hippy.jp/ehon/

その中で、
「お父さん、お母さん、友達・・・・が死んでも、悲しむことはありません。政府が誉めてくれます。国の為に良いことをしたのですから・・」

「いのちが大切だと今まで教わってきたのは、間違いになります。一番大切なのは、「国」になったのです」

という部分が、とても印象的でした。。「政府」「国」を、マインドコンロールで共通するものに、入れ替えても、おかしく無い文書でもあります。

・ニャンコ、戦争へ

アマゾンのレビューを読んで、私も読んでみたいと思いました。。

---他に、読んでみたい本

・流れる星は生きている

・9条どうでしょう

・〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

・戦争が遺したもの

・井上ひさしの 子どもにつたえる日本国憲法

他にも、何かお薦めの本がありましたら、教えて下さい。

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第二次世界大戦の、日本で空襲を受けた人の話しの中では、戦闘機が近づき、攻撃してくる米兵士の顔が見えるそうです。笑いながら、爆撃を打ってくるそうです。
でも、日本人も、残酷なことを、他の国でたくさんしたと聞いています。

今でも、どこかの国で、紛争が起きています。。。

あの、別にサヨク派ではないですから・・・、

ただ、思うのは、生物の本能って、弱肉強食・弱い物は淘汰される・自分達の遺伝子を残す・・・、
自然の中に生きる動物や生物を思うと、人間が一番、非自然的に生きてる・・・、
それでも、もともとは、自然と一体化しながら、人間という種に進化をしてきたのも事実なので、弱肉強食・弱い物は淘汰される・・・が、本能で持っていると思う。。だから、差別や偏見や争いがあるのだと思う・・

戦うのを嫌う、弱いものを守るという気持ちは、非自然的でもあると思うのと同時に、人間が自然と一体化せずに、進化してきたからこそ、弱肉強食ではなくて、弱いものでも守ろうとする、戦って得るではない方法を、考えることが出来たこと、福祉という考え方が出来るのが、人間の進化だと思っているところが自分にはあるので・・・

人間は、非自然的に、たくさんの自然を奪い、たくさんの動物達の命を、食物としてだけでなく、科学や医療などの実験としても、たくさんの動物達の命を操作し、奪っているのだから、もうこれ以上の人為的な命の操作は、して欲しくないとどうしても思ってしまう。。

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人間や可愛い動物やキレイな植物だけが、大事な命持っているわけじゃないのに、特定の命だけ、自分にとって気に入っている命だけ、人間に得になる命の操作を毎日していて、ほんと人間って、つくづく勝手だよなぁ〜

うちには、殺虫剤あるし、庭の草むしりバシバシしてるし、昨日は、たらこ食べて、肉食べて、毎日、命奪いまくってるのに、命奪ってることなんか忘れて生きてます。

地球や自然は、もう人間がほとんど支配してしまってると思う。もうこれ以上の支配は、しなくてもいいじゃん・・って思う。。

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「フリースペースつくしんぼ」サイト管理人さんのもう一つのサイト
http://homepage2.nifty.com/bokuumi/

2006年08月08日

利用すると思うのか、感謝すると思うのか・・・

子どもが発達障害と診断されてから、人との関わりで、大変なことも多いけど、
感謝するということに、敏感になった気がする・・・。

でも、そんな中でも、他者との関わりの中で
「利用する」とか、「あの人は使える」とか、言っているのを見ると、
自分の中では、私とは、思考回路違うんだな・・・と思う。

もちろん、サービスとして、または利用してください、ということでなら、
利用する・・使える・・でも良いと思うのですが

人との関わりの中で、たまたま人がしてくれた善意を
「利用する」とか、「あの人は使える」とは、まるで、物みたい。。
そういった事を言う割には、会話の中には、あれこれと、子どもへの育て方とか、
子どもへの想いなど、話しているのを見て、なんなんだ?と、よくわからなくなってくる・・。

またこういうのって、人の心理をうまく操るのが上手な人が、
「利用する」とか、「あの人は使える」とか言ってるからなぁ・・

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もっと、不思議なのは、こういうことを平気で言うのだけど、
第一印象や、話し方がうまいと言うだけで、
一見好印象を、人に与えるのだから、なんとも言えない・・・。

人の心理を操るのが上手だと言うのは、それだけ人を惹きつけるようなものが
あるんでしょうね。。
でも、この手には、共通してることがあって、
どこか命令的というか、動かされているというか・・

だって、「利用する」「使える」だよ
人を、操ってるんだもん。。。

人を見る目って、皆、何を基準にしているんだろうなぁ・・と思う。。。
だって、こういうことを平気で出来る人を、尊敬?信頼?している人って、意外に多いから・・・

人を動かすのが上手 --> 信頼できる・尊敬できる と、思うのは、
「人を動かす」ことに対して、ポイントをおいてるというか、
何か重要さのようなものを、見ているのかな・・

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私は、主治医や学校の先生や療育の先生に、本当に助けてもらったけど
助けてくれた先生達に共通しているのは
「どの人にも同じように接する」先生達で、わけ隔てないんですよね

もちろん、先生達だけでなく、育てる親の立場として知り合った方々の中でも、
わけ隔て無いというのが、私が一番大事にしているところです。

わけ隔てなく人と接する人だからこそ、こちらも気さくに
相談出来たし、相談にのってくれたというか・・・

わけ隔てない人達に、私は助けてもらって来たので、
「人を動かす」ことに対しては、私の場合、重要じゃないのかもしれない・・

それと、「支配」や「上下関係」というのは、もともと好きじゃないので、
わけ隔てなく人と接する、気さくな人の方向に、自分が行きがちで、
そうしたら、たくさん相談出来て、そしてたくさん支えてもらったというか・・・

私の経験では、「利用する」「使える」が、基準にある人には、本当の相談って出来ない気がする。
だって、「利用する」「使える」が基準なのだから、「利用する」「使える」為の、何かが引き換えになっているんです。

だから、「利用する」「使える」為の、何かを自分が持っていないと、相談にのってくれないそんな感じします。うまいですよ。「今忙しいから」とか、「具合悪い」と、さっと逃げますよ。

自分が、「利用する」「使いたい」時は、すごく言葉巧み。
でも、自分にとっては、面倒でメリットないと、さっと離れる。
類は類を呼ぶようで、同じような人同士が集まってるようで、勝手にやってくれ〜って、感じなんですけどね。

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自分の経験での、判断なので、私の中での独断なのかもしれませんが
「プライドが高い人、自分をどこか優位に見せたい人」
「アドバイスするのは大好きだけど、人のアドバイスは聞かない人」
「相手の立場や上下関係によって、態度が違う」
「相手が自分にとって利が薄そうな人には、謝らない」
「謝ると言う事じたいが、自分が優位で無くなると感じてしまう人」

「謝ると言う事じたいが、自分が優位で無くなると感じてしまう人」
というのは、「謝ること」=「負け」と思うみたいで、特に、勝手に頭の中で考えている上下関係や自分への利になることが最優先での、謝るか、謝らないかを判断しているようなので

勝手に頭の中で考えている上下関係で、相手が自分より下とか、自分への利になることが薄いと感じたならば、そういった相手には、謝りたくないので、
相手がどのように考えているのかを、知ろうとすることに気持ちを向けないで、謝るということから違う方向に、話をすり替えようとするところに、エネルギーをつかっているような気がする。。。

必ず、最初に言い訳が付いてきたり・・・、
または、いきなり具合がわるくなったり・・・、
または、話しの内容がいつの間にか、自分は被害者、弱い人間・・という方向の話しになり、謝るということから、話しをそらされる。。
もしくは、逆ギレっていうのもある。。

常に自分は、人より優位に立ちたいというのがあるせいか
支配的な傾向が強く、人との関わりの中で、
「利用する」とか、「あの人は使える」とか、言いがちな気がする。
または、付き合いの中で、こういった気持ちがどこか根底にあったりする気がする。。

支配的な傾向が強いと、上下関係をどこかで作りたがるし、また自分より支配力がある人には、とても従順だったりする。。

支配って、大嫌いなので、ほんと、この辺りには、私は敏感です。

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「プライドが高い人、自分をどこか優位に見せたい人」
「アドバイスするのは大好きだけど、人のアドバイスは聞かない人」
「謝ると言う事じたいが、自分が優位で無くなると感じてしまう人」

共通点は、常に自分が優位でいたい、
−>「人を利用する・あの人は使える」−>人を、自分の為に使う、

どこか自己中心的、支配的な感じがするので、私が避けていることなんだけど

それとは、別に、私が経験した中で、避けていることというか
他に苦手なことは、だいぶ経ってから、何かしらの嫌味を言うというやつ。。
これ、女の人に多いんだって・・

だいぶ経ってから、嫌味言うくらいなら、私なら、その場で、本人に話すけどな・・

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でも、また、ここですごく不思議なのは、

私のように、その場で、本人に話すというのとは、内容によっては、
喧嘩を売ってる?発言に見えるみたい

だから、後から、うまいタイミングで「嫌味」を言うほうが、
喧嘩を売ってる?より、堂々としていない分、
目立たたず、しっかりと相手にダメージを与える方法みたいです。

あ〜、馬鹿みたい〜。
私は、喧嘩を売ってる?発言に、仮に見えても、堂々と相手に思ったこと話したいよ。

相手に思ったことを話す、友達と喧嘩しながらも、仲が良いというのを、
経験したこと無い人には、喧嘩を売ってる?発言に、
見えてしまうのかもしれないけど・・・

後から、うまいタイミングで「嫌味」を言うのが、上手になったりは
絶対にしたくないわ、私は・・


まあ、うまいタイミングで「嫌味」を言うのが上手な人は、
私のように、相手に思ったことを話すほうが、きっと馬鹿らしいと思ってるのかも
しれないけど。。

まあ、人それぞれなんでしょうけどね。。

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「相手の立場や上下関係によって、態度が違う」
「相手が自分にとって利が薄そうな人には、謝らない」
「謝ると言う事じたいが、自分が優位で無くなると感じてしまう人」

「謝る」ということでの、逆ギレで思い出したのだけど、
ある方と一緒にする作業があって、その作業について、その方と話しをしていたのですが、話しの発言の中で、私の中では、ちょっとこれは・・と、思う発言がいくつかあって

相手の方に、「そのことについて、どのように思って、そのような発言を言ったのか・・」聞いてみたんです。。。そしたら、すごい逆ギレされたことがあったの・・・

それからしばらくしてから、立場的に私が抜けては困るという作業状況があって
そしたら、その方が、以前とは変って、私に対しての態度が随分と違うんですね。。

それで、態度が随分と変ったその方に、以前その方が話した発言について、「あの時、どのように思って、そのような事を言ったのか・・」 再度、聞いてみたら、今度は、平謝りなんです。。

なんていうのか、逆ギレにされるか、平謝りされるか、この人の、人への関わり方は、相手の立場によって、違うんだ〜と思ったら

会社や職場じゃあるまいし、個人の集まりの中でも、こうやって、相手の立場とか
上下関係で、態度がコロっと変る人いるんだよね・・・と改めて思ったときに

相手の立場とか上下関係を置く人、常に自分を優位に置きたい人とは
思考回路違うからな・・と思った。

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私は、自分の心の中にある、たくさんのマイナスな感情に対して
負けたくないと思うことはたくさんあるけど
人との関わりの中で、勝ち負けや優劣を考えたくない。

発達障害の子育てしてますます、それが強まった気がする。。
優位だの、勝ち負けだの、そんなのが大事じゃないじゃん・・・って、

今日、テレビで熊本の盲学校の子達が、アンサンブル大会で、金賞を受賞した話が出ていて、この子達も言ってた

「大会で、金賞を受賞したという経験は、一時的なことだけど
アンサンブルを続けたことによって、友達への信頼感や友情が出来た事は
一生残ることだから、金賞を受賞したことより、友達への信頼感を感じる事が
出来たのが嬉しかった・・・」って。。。

ほんと、そう思う。

2005年12月20日

自己否定や自己批判と、反省は違うもの。。。

ここ最近読んでいるいくつかの書籍(モラルハラスメント、ダブルバインド関連の本)の中で、「自己愛変質」というのが、何度も出てきました。

「自己愛変質」の人は、他人を支配したがり、
自分の利益になるように、人を操つることが、とても巧妙です。

似たような状態像には、共依存からくる支配ともいう話もあります。
(ただ共依存だけでは、支配する側とされる側の関係が、いまひとつわかりにくいところがあります。
コインの裏と表のような関係が共依存なのですが、ダブルバインドやモラルハラスメントは、相手を精神的に追い込むところまでの強い精神的支配があるので、共依存の考えだけでは、理解しにくい状況だと思います。)


「自己愛変質」の方の、他人を支配したがり、
自分の利益になるように、人を操つることが、とても巧妙な方に
なぜか引き込まれてしまった人は、
その人の為に何かをすればするほど、心が自分のものでないように感じ、
どうしようもない空しさの中で、どんどん心が枯れていき、
心がおかしくなっていくことが多いのです。

(共依存の場合は、相手に対しての関わりは自分を満足させるものなので、心が自分のものでないように感じることや空しさなどはないのです。共依存者同士でどんどん良くない方向にただ行くだけなのです。なので、共依存からくるものというだけでは、説明できない部分があります。)

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「自己愛変質」の人は、反省するということが本質的に出来ないといいます。
そして、「自己愛変質」の人に引き込まれて、ボロボロになってしまう人は、「自己愛変質」の人とは、全く対極な性格の人で、自己否定や自己批判が多い、自尊心が非常に低い方が多いといいます。
引き込まれて、ボロボロになってしまう人の多くは、AC(アダルトチルドレン)の心理状況の傾向がとても強い方でもあると感じます。

「自己愛変質」の人は、反省が苦手です。自分はけして悪くないというのが常にあります。
反省することもあるようなこともあるのですが、自分はとても弱い人間ということに摩り替えられたりして、いつのまにか、相手に非があるようになってしまい、

「自己愛変質」の方に、引き込まれているほうの人が、なぜか悪者になってしまい、
「自己愛変質」の方に、引き込まれる人のほうが、そもそも、自己否定や自己批判が多い方なので、自分が悪かったと本当に思うのです。でも何が悪かったのかは、問題をすり返られただけだったので、よくわからない矛盾を感じながらも、自分が悪かったと思うのです。

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私は、ここ最近この手の本を読んでいて気がついたのは、自分はACの傾向がある人間だったのだと思いました。だから、「自己愛変質」とまではいかなくても、こういった支配傾向のある人を前にすると、非常に緊張し、何か自分には、落ち度が無いか?と非常に気になったりと、
とにかく支配傾向のある人とは、自分は、うまくやっていけない、どうもおかしくなってしまうという漠然とした思いが、具体的にどういうことだったのか、やっとわかったような気がしました。

そして、自己否定や自己批判と、反省は違うものというのも、なんとなくわかってきました。
頭では、それらは全く違うものと認識はしていても、自分の感覚では、今まで反省をするたびに
反省=自己否定や自己批判 に、つながっていたのです。
(支配傾向のある人は、無意識/意識的に関わらず、この自己否定や自己批判を、巧みに利用するのです)

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反省というのは、けして自己否定や自己批判のように、自分を罰したり、ひどい自己嫌悪に陥って、自分の行動や考えをなんとかしようとするものではなくて
(支配的な人や、審判的態度の人から受ける感情は、この自分を罰しなければいけないような感情になってしまうことではないでしょうか・・)

反省というのは、
自分の心と社会へのつながりとしての未来に向けて、自分の行動を省みて、直したほうが良い部分は、修正していき、良い部分は伸ばしていくことだということ。
否定や批判や罰する感情ではなく、修正していこうという感情と、良い部分は伸ばしていこうという両方の感情が必要だと思いました。


自分を省みた時に、修正したいことについては、少しでも、ほんおちょっとでもうまくいった!という、肯定の思いにつなげる為は、これはやはり誰かに認めてもらう事の必要を感じます。

そう思ったときに、これは息子の子育ても同じだと思いました。
どんなに、同じ間違いを繰り返していても、何度言っても、うまくいかなくても、必ず少しは前に進んでいるよ!というのを、息子に伝え続けるのは、大事だと思いました。

AC傾向の親が、ADHD&LDの子どもを育ててる。
でも、そういう親子は多いと思います。きっと・・・。

2005年12月05日

本能と福祉

先日、
「動物は、障害があったり、弱かったりすると、攻撃されたり、群れの仲間に入れてもらえなかったりする・・」
というのを、ある動物番組のTVで聞いて、そういえば、そうだよなぁ〜と・・。
弱肉強食が、本能にあるんですよね。。

幼稚園や保育園でも、子どもの同士の中では、弱い子や、障がいのある子は、仲間外れにされやすかったり、意地悪されやすかったりしたかも・・と思い出したんですよね。
それでも、周りの大人である、親や先生が、そいういったことに対し、配慮ある関わりをしていれば、子ども達も、弱い子や、障がいのある子に、理解ある対等な関わりが出来たり、むしろ大人が真似できないくらいの素晴らしい関わりが出来るんですよね。

周りの大人がそういった配慮ある行動を示すと、子ども達も影響受けるというのも、大人は、子どもを守る強い存在というのを、子どもなりに知っているから(ここでも目に見えない強弱関係/上下関係がある)、大人の行動そのものが、子供たちに影響を与えるんだろうな・・と思ったのです。

もちろん、そういった環境の中でも、相変わらず、弱肉強食(強弱関係)本能の強い子もいるし、子どもたちも、年齢が上がれば、先生の配慮とか関係無しに、弱肉強食(強弱関係)本能がまた、出てくる子もいるのだけど・・


人間は、群れの生き物・・・もとは猿だったしね。。。(^^;)
だからたいていの人は、社会の中で、弱肉強食(強弱関係)本能が強い人や、上下関係(群れのボス)の中で、もまれながらも、生きていける・・、これは、本能なんだよねぇ・・

会社の中や身近な社会の中では、当然のように強弱関係や上下関係があり、その中で生きていても、個人の心の中に、福祉的な考え方を、いつまでも持ち続けられる子や人というのは、強弱関係とか、上下関係という本能が、すごく薄まってる人なんだろうな・・と思いました。

もちろん、福祉活動や福祉の仕事の中で、権威や上下関係の強い人や、権威や上下関係を重んじる組織もありますけれどネ・・

私は、今まで自分の子どものことで、お医者さん、心理の先生、療育のそれぞれの専門分野の先生達に出会ってきた中で、育児のとこで、本当の意味で支えて下さった先生達は、今思うと、「強弱関係とか、上下関係という本能が、すごく薄まってる」先生達だったな・・と思いました。

そういった先生方ほど、個人的な好き嫌いとかが無いというか対等な関係と個人の尊重があるんですよね)・・、どの人にも、同じように大切に関わって下さるんですよね共感が出来ているんでしょうね)。「どの人にも、同じように大切に関わって・・」これが、色んな人に出来るというのは、本当にすごいことだと思うんです。

だから、私だけでなく、それが出来る先生たちに知り合えた人達は、私と同じように、本当に支えて貰ったという実感を感じることが出来たんじゃないかな・・と思う。。
 先生だから・・というだけで、目に見えない上下関係の中で、顔色を伺いながら、相談してきたではなく、もっと心を開いて、相談出来たんじゃないか・・と思う。

福祉理念が必要な、障がい関連においては、強弱関係や上下関係というようなことは、特に大事なことではないはずだ・・と思う。
ただあまりにも、個人がバラバラになるのは、これは困るので、リーダーとしての役職や、責任としての役職は必要だけど、心の中まで上下関係/強弱関係があるというのは、私の中では、すごく違和感です。

それでも、もともと人間は、猿なんだから、上下関係(群れのボス)がいるほうが、安心だという人が、圧倒的に多いんだな・・と思う。支配したいと思う人がいて、またそれに従うことが安心につながる人がいて・・。
ただ、上下関係・群れのボスと言っても、色んなボスがいるし・・。
私は、自分が本当に尊敬できるボスにしかついていけないだろうし、私が苦手とするボスを尊敬している人もたくさんいるだろうし。。
類は、友を呼ぶって、これってその通りだと思う。

上下関係や権威が大好きな人は、それが好きな者同士で群れるだろうし、そういうのが、苦手な人は、そういったところには、入りたくもない。ただそれだけなんだけど。。

でも、本当の福祉理念は、上下関係や権威ではなく、対等・共感・個人の尊重がキーワードなんだよね・・?

だけど、人間は、猿からの進化だから、やはりどんな分野でも、弱肉強食(強弱関係)/上下関係や権威(もしくは群れのボス)が大好きだったり、またはそうでないと安心出来ない人が多いんだよね?


最近、ダブルバインドから関連して、モラルハラスメント関連の書籍を数十冊、読んでいました。
(ダブルバインド理論のベイトソンや、書籍の中から多く出るユングの理論をきっかけに、ベイトソンやユン グの書籍も、図書館で借りて、こちらも読んでいます。)

紹介した本の中にある事例の話しは、理解しやすくするための話しなので、極端な話しに感じるかもしれません。事例の後の話しの中に、気がつかないうちに、依存と支配の関係が出来上がり、精神的に追い込む/追い込まれる関係が、わかり易く書いてあります。

支配的な人に引き込まれ、自分の心が自分のものでないように感じる、心が空しくなっていく経験をされた人なら、今までの自分の感じていた漠然とした矛盾や思いは、なんだったのか?
具体的に、客観的に、教えてくれる本だと思います。

-平気でうそをつく人たち
M.スコット ペック M.Scott Peck (原著), 森 英明 (翻訳)

-モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない
マリー=フランス イルゴイエンヌ (著), Marie‐France Hirigoyen (原著), 高野 優 (翻訳)

 特に、「モラル・ハラスメント」(マリー=フランス イルゴイエンヌ 著)の書籍を読んだ時は、自分の心の状況とあまりにも一致していたので、すごく驚いた気持ちでした。
 
 「モラル・ハラスメント」を受ける人は、自己批判/自己否定の強い自尊心の低い人でもあるというのも、もちろん自分に当てはまることなのですが、「モラル・ハラスメント」を受けるずっと以前に、何かしらのトラウマを抱えている人が多く、「モラル・ハラスメント」を受けながら、心が枯れていく感覚を感じながら、同時に、過去のトラウマを何度も、フラッシュバックさせてしまうというのです。
 
 過去のトラウマを何度も、フラッシュバック・・・・これも、自分に当てはまってしまっていたので、私のような経験された方も、たくさんいるんだ・・と思うと、なんだか「ほっ」としてしまいました。
なぜなら、この本を読むまで、ずっと自分が悪いからだ・・とやはり心の奥底で、思っていたからです。

自己批判/自己否定をやめ、頑張りすぎる自分でなく、無力である自分も受け入れ、自己批判/自己否定と一緒に事実を受け入れるのでなく、ただただ気持ちを無にして事実を受け入れるということ・・・・など、 克服していくお話も、とても納得出来るものでした。

2005年11月21日

支配とコントロ−ル

ダブルバインドという心理状況が、自分には、なんだかとても理解できると気がついたときに、それと同時にすぐに頭に浮かんだのは、「支配とコンロール」でした。
自分なりに、様々な人のダブルバインドに関連した話しを読んでみていると、やはり「支配と拘束とコントロ−ル」というのが、ひとつのキーワードに感じます。

ダブルバインドでは、支配的な状況で(もしくは何かしらの上下関係がある立場で)、否定語や禁止語(もしくは、否定的態度や禁止的態度)を矛盾あるメッセージと共に使い、相手を拘束しながらコントロールしてしまう時があります。
そして、「支配的な関係の中で、相手をコントロール」するというような内容として、「モラルハラスメント」や「パワーハラスメント」という言葉を見るようになりました。

「ダブルバインド」と「モラルハラスメント」に関連した書籍をいくつか読んだ時に、やはりここでも、「支配とコントロ−ル」が話しの中のキーワードだと、感じました。

人間には、どの人も、その人の持っている感性と心があります。
自分の感性と心を、支配的な状況で、否定語や禁止語(もしくは、否定的態度や禁止的態度)を使い、相手からコントロールされたら・・・、想像するだけでなんだか「ゾッ」とします。

でも、現実にはたくさんあるのですね・・。
上司と部下の関係でも、このダブルバインド的な、「モラルハラスメント」や「パワーハラスメント」のような関係があると、たくさんの本が出ています。
企業と、その下請け会社にも、似たような関係が、あると聞きます。
夫婦関係でも、ご近所の付き合いでも、このような関係があると言われています。

支配する側の人が、自分の思い通りにしたいという思いが強くある場合、「ダブルバインド」や「モラルハラスメント」や「パワーハラスメント」的な状況に陥りやすいと感じます。
相手の言う事を素直に聞くという事と、自分の心を見失うほど相手に従うと言うのは、別だと思います。
ですが、この「ダブルバインド」や「モラルハラスメント」や「パワーハラスメント」、というのは、とても巧妙な形で、支配とコントロ−ルをしていくのだそうです。

「自分の思い通りにしたいという思い/考え方」には、相手に対する共感という感情が薄れていきます。それにプラス、支配出来る優位な立場としての上下関係という状況があるのです。


「ダブルバインド」や「モラルハラスメント」や「パワーハラスメント」の良くない面は、それだけではないと言います。虐待の連鎖と同じように、こういった関係が連鎖されていく事もあります。

「ダブルバインド」や「モラルハラスメント」や「パワーハラスメント」により、心が壊れなかった人の中には、今度は自分が、他の人にそういった状況を与えていたりするのです。Aの人が、Bの人にその状況を与える、そして、Bの人が、Cの人にその状況を与える・・・・。悪循環が作られてしまうのです。

世間を見渡しても、優しく、思いやり深く、共感能力が高い人ばかりでは無いからこそ、
いじめがあるのでしょうし、障がいのある方に対し、差別する思いが自然に湧き上がる人も多いのでしょう。。


自分の中に、「支配とコントロ−ル」は無いか?と考えました。。。
そう考えた時に、「アンビバンレツ」と「ダブルバインド」が浮かんでしまったのです。

自分自身では、「支配されること/コントロ−ルされる」ことが、大嫌いなのに、
いつの間にか、親の立場として、子どもを「支配/コントロ−ル」していないか・・・?
と考えました・・・・。

ある一部の人を責めたくなるくらい、自分にとっては、苦痛でしか無かった人もいると思います。
自分の心を吐き出すのは、大事です。 あまりにも心に貯めておくのも、辛い時があります。
なので、苦痛だった思いを正直に話す時も大事だと思います。

気をつけたいのは、自分がされたことを、いつの間にか、誰かにしていることです。その誰かと言うのは、たいてい、自分より立場の弱い人に向けられます。

自分は、「支配とコントロ−ル」で、けして人(子ども)を操ることが無いように、と自分にも、警戒の意味をこめて、苦痛を与えた相手のことは早く忘れたいですが、この心の痛みは、自分自身への教訓の為に忘れないように・・、自分から、悪循環の連鎖をこれ以上増やさないように・・と思いました。


※当たり前ですが、念のため・・・
支配のある抑圧した中で、コントロ−ルされてしまうのと、ADHDのコーチングは全く違います。
ADHDのコーチングは、本人が社会の中で、または日常生活の中で、本人がうまく適応出来るためのものであり、本人の特性をよく考えた上での、本人の為になるADHDのコーチングであり、

抑圧と混乱の中で、誰かの思い通りになる為に、本人の特性を無視し、本人の考えや気持ちを無くしてまで、誰かの思い通りにコントロ−ルされてしまうのとは、違うからです。

2005年11月19日

ダブルバインドとアンビバレンツ

ここ最近、ダブルバインド」 アンビバレンツ」という心理状況が自分の心に残っていたのだけど、この2つは、障がい児を育てる親にとって、とても関係のある心理状況でもあると思いました。

私自身は、まず自分の経験として、「ダブルバインド」な状況に苦しみ、
”私は、常に相手が満足・または肯定するような行動をしなければいけない”
”なので私の心や考えは、どこにもない・・。”
という状況まで、自分がなってしまったことがあったので、「ダブルバインド」な状況での苦しみは、どんなものか、私なりにわかる部分があります。

”自分の考えや気持ちを素直に表現してはいけないんだ・・。”
”私の心は、どこにもない・・。”
という状況から、行く先は、神経症・鬱です。そして、ある素因を持っている人であれば、統合失調症や解離性症状が出てしまいます。それぐらい、「ダブルバインド」というのは、人の心を壊していくものだと思っています。

虐待やいじめの状況も、どこか「ダブルバインド」の状況に似ていると聞きます。
「ダブルバインド」には、支配と従う関係があります。 
そして、従うほうの人は、支配的な人に対し、もちろん反論はしていけない状況であり、
そして、支配的な関係の中で、何かあるたびに、矛盾あるメッセージと共に、禁止や否定語、禁止的態度もしくは否定的態度を、延々とされ続けます。

本当の意味で、受け入れてもらう、わかりあうということが出来ない、共感することが出来ない関係であります。


「アンビバレンツ」というのは、”自分の中にある2つの相反する心理”であり、
障がい児を育てるにあたっては、「子育てに対する意欲と不安」といった相反する心理は持ちやすいと思います。
「少しでも、良くなって欲しいという希望」 と、「障害を受容しながら育てる、将来に見通しが見えない状況での不安」というような、相反する気持ちの中で、葛藤があると思います。

こういった相反する気持ちが同居しやすい中で、親として社会の厳しさに触れた時、子どもにもっとしっかりしてもらわないと、親がこの世にいなくなってしまった時(もしくは、成人になったときに)、この子は大丈夫だろうか・・?と心配になると思います。

「子育てに対する意欲と不安」の相反する親の気持ちが、「矛盾のメッセージとして、子どもに与えてしまう(ダブルバインド)」の状況に陥りやすいのではないかと思います。


私は、息子が幼児期から、療育を通して、色んなお母さんとお子さんに会って、会にも参加させて頂いて、たくさんのお話しを聞く中で、母として、皆さん、本当に大変な思いを抱えることが多いと思うのです。

どのお母さんも、厳しくしすぎた時は、とても罪悪感に陥り、泣いて子どもを抱きしめたり、心から謝ったりします。 母だって、人間です。 うまくバランスのとれた性格で、感情を常にコントロールできる状況でないときもあると思います。

本当に子どもを愛していれば、親としての行いを、心から反省することは、自然と出来ると思います。

反省することがないくらい完璧と思い込んでいるほうが、逆に怖いと感じます。
過去を振り返るな・・という考えも大事ですが、親自身の行いを省みることも、必要なことではないかと思います。

子ども自身が、自分の感情や考え、気持ちを、受け入れてもらえないまま、という状況があまりにも、長く続くと

自分の心(感情や考え、気持ち)は、受け入れてもらえないものであるから、自分の心(感情や考え、気持ち)は、持っていなくてもいいもの・・。 無くてもいいんだ・・、つまり、自分という存在(心)は、どうでもよいのだ・・と、思うようになってしまいます。

私は、「〜してはいけない」と断言するのは、基本的に嫌いです。ですが、これだけは、断言したいくらいハッキリと思っていることはあります。

「自分の心は、無くてもいいんだ・・、つまり、自分という存在は、どうでもよいのだ・・」と、いう気持ちだけは、絶対に植えつけさせてはいけない、または、そのような気持ちに誘導してしまうようなこともいけない、と思います。


ダブルバインドの状況に陥ったら、その状況から離れる(逃げる)のが、一番良いと聞きます。
離れても、大丈夫な関係なら、離れられますが、これが、親子関係だったり、会社の上司と部下の関係だったら、なかなか、離れる(逃げる)ということは、出来ないと思います。

特に、親子関係の場合は、本当に離れる事が出来ない。。それゆえに、親子関係においての、ダブルバインドは、大変辛いものだということがあるのだと思います。

でも、困難が多い子どもを育てる中では、相反する感情の同居(アンビバレンツ)は、どうしてもあります。
それが、ちょっとしたことで、ダブルバインド的な振る舞いを、子どもにしてしまいがちな部分も、あるかもしれない。。

それでも、本当に子どもを愛していれば、自分の親としての行いを、心から反省することは、自然と出来ると思う。 本当のダブルバインドは、相手に対する真の愛情は無いのです。だから、相手への共感もなければ、やった行為に対しての、反省や罪悪感も無いのです。


どのお母さんも、厳しくしすぎた時、または支配的な感じで子どもの心を否定してしまった時は、とても罪悪感に陥り、泣いて子どもを抱きしめたり、心から謝ったりします。 
母だって、人間です。
バランスのとれた性格で、感情を常にコントロールできる状況でないときもあると思います。 

自分の親としての至らなさを、その都度気がついたときに、子どもに心から、謝りながら、親としても、何度も壁にあたりながら、頑張っていると思います。

親も、人間です。 何でもコントロール自在なロボットでは無いのです。
だけど、ロボットには、反省はありません、壊れたら、修理です。
人間は、反省によって、少しずつ良い方向に、考え方を変えることが出来ます。

本当に子どもを愛していれば、自分の親としての行いを、心から反省することは、自然と出来ると思います。


↓ダブルバインドについて思ったこと
ダブルバインドについて

↓アンビバレンツについて思ったこと
アンビバレンツについて

2005年10月31日

アンビバレンツ

転職を機に、ある講習に行っているのですが、この講習では、心理のお話もけっこう多く、今回は、「アンビバレンツ」という言葉が印象に残りました

アンビバレンツ(アンビバレント)=反する感情の同居・対立する感情が同時にある状況.。 「愛と憎悪」、「絶望と希望」、「転落感 と高揚感」、「瞬間と永遠」、「記憶と妄想」など・・

アンビバンツは、ダブルバインドとは違う。。
アンビバンツには、本人自身の中に、反する感情の同居・対立する感情が同時にあり、その対立する感情に対し、本人の苦悩があるけど、
ダブルバインドは、矛盾する行為をしている側の人は、基本的に苦悩はない。矛盾する行為をされた側の人に苦悩と混乱がある。

 例えば、アンビバンツの状況というのは、引きこもりの人が、
「外(社会)に出たい。 けれど外(社会)が怖い (自信が無い)ので、外(社会)に出れない。」と、
「社会に出たい気持ち」と同時に、「社会から離れたい」というような、自分の中に反する気持ちが同時にあることに対し、苦悩しているのが、アンビバンツであって

 ダブルバインドの状況というのは、”矛盾する行為を相手に対し、してしまっている側の人は、基本的にその矛盾に対し気がついていない、もしくは悩んでいない。”
”そういった矛盾した行為をされた側の人が、その矛盾した行為に対し、苦悩し精神的に混乱してしまう。” 状況であるから。。

障害者本人、家族に障害者がいる親・兄弟などの人達は、アンビバレンツな状況になることが多いと思う。
特に「希望と絶望」「良くなる事への期待と障害への受容」・・・
たくさんの反する感情の同居があると思う。。

なので、今回「アンビバンツ」と聞いて、耳に残ってしまった。
以前も、どこかの本で「アンビバンツ」というのは、読んだ事あったけど、その時の自分には、あまり印象が残らなかった言葉だった、、、今は、色々あった分・・(^^;) 「アンビバンツ」というのが、どういう状況かよくわかる。。


講義がいくつかの分野にわかれている中で、△△先生の講義でのこと・・・。
どうも、この先生は引っ掛かる。障害者差別はいけない・・という話しをしながら、言葉の端々には、職業差別と取れるような話しをしている。。
また講義の中で、相手を思いやる事は、大事だと話している割には、本人の経験談的な話しになると、相手に非があるような話しをしている。。

話し方は、とても面白くて魅力的で、講義が上手な先生だとは思うが、個人的に相談や話しをするには、ちょっとこちらが、気構えないと、どんな否定的な、もしくは審判的な言葉が返ってくるかわからない・・・、そんな印象を与える先生だ。。
カウンセリングにおいては、否定語や審判的態度はいけないと聞くけど、この先生は、バンバンやっていそう・・そんな感じの先生。。
(よく言えば厳しい先生、思ったことを口や態度に出す正直な先生です・・)

あとでわかったことは、この△△先生は、あるセンターで障害者向けの訓練をしていた先生で、親達からとても評判の悪い先生だった。。(´Д`;)ヤレヤレ
今では、ある医療資格の学校の講師をしているそうだけど、生徒さん達、けしてこの先生のように、専門資格があっても、権威的にはならないで欲しいと・・・、障害者の親としての立場で思った。


相談を受ける立場になる職業の人は、「ダブルバイント」とか「アンビバレンツ」とか「否定語や審判的態度はいけない」「共感性の大切さ」などの、講義は受けないのであろうか・・?
またどうして、それが大事なのか本当にわかってるのだろうか・・?
と、思うようなくらい、相談を受ける立場になる職業の人に対しての、相談者側の苦情がけっこう多く、耳にします。

これらの大切さともっと理解していれば、相談者の苦悩や精神的苦悩や不安を、更に良くない方向への心理状況にもって行くのを少しでも、防ぐ事が出来るのに・・・と思う。。

相談する側の人達は、
相談という職業として、大切にしなければいけないことが出来ない相談員に、
相談した際に、より強いストレスを受けることもあります。

相談内容をきちんと聞いてくれないので、話しが噛み合わない、空しさ。
相談者の話しより、相談員の経験談や話が長くなり、相談者のほうは、ほとんど話を出来きないまま、相談員のご機嫌取りのように相槌を打ち、聞き役で終わってしまった。
相談内容をきちんと聞いてもらえていないので、見当違いなアドバイスをされてしまう。
 
そんな空しい思いや、相談するだけでも気を使うストレスを感じながらも、相談する親の中には、自分を省みることが出来る人がいます。こういった親御さんは、話しを聞かない・まともに出来ない、相談員の人には、どのように接したらよいのか段々わかってきて、相談をする立場のプロになってきます。

でも、相談を受ける職業をしている人の中には、年数だけは重ね、相談を受けるプロになれない人達がいます。 なんだか、情けないと思います。

専門職としての誇り=プライドというのは、見栄や上から人を見下ろす態度では無いと思います。
どんなに年数を積んでも、謙虚な気持ちと本当の意味での向上心がなければ、ただの傲慢者にしかならないと思います。

2005年10月15日

自分の心を偽るとき・・・

今だに生きるのがヘタなことに悩んで、よく本を読んだりしてしまうのだけど、「加藤諦三」さんの話しは、多くの心理本の中で、私は読んでいて、自分のことを気づかされる本です。

先生ご自身が、「関わる相手に対し、相手が満足する行動や言動をすることにより、相手に受け入れてもらう」ということばかり、せざるおえない環境で育ち、”自分の心に嘘をついてきた”、また”自分の正直な気持ちを出すと受け入れてもらえなかった”という、経験が長かったせいか、抑圧された中で、本当の自分の心を見失ってしまってしまいやすい人のお話が多いのです。

先日、いつも純粋な気持ちで、一生懸命介助の仕事している友達に会った時
「自分の心を見失なわないで・・・」と言われたんです。
つまり、自分の心に嘘をつかないで・・・と、


もちろん、社会に出れば、誰もが、好感もたれたい、認められたいとい思いがあると思うのだけど、鬱や神経症の素因をもっている方なら、その行動を完璧な形(完ぺき主義/理想主義)として、やろうとしてしまう。。自分に自信が無いから、完ぺきなもの、理想的なものとして、残ししたいと望んでしまう。。または、そうしないと、自分の気が済まないというのがある。。

自分に自信が無い部分を埋め合わせするために、完ぺき主義(理想主義)を求めてしまい、その完璧(理想)を求めるがゆえに、とても細かいところまで考えがいく・・・、
だからこそ「表面では肯定していながら、本当は肯定していない人間関係」でさえも、すぐに見破れる・・・

また、自分に自信が無いから、相手が否定的であるということに対しての感受性は、人一倍強い・・・。
相手が自分に、否定的ではないか?と感じながらも、最後には、自分を認めてもらおうと、自分の心を見失うくらいに、頑張ってしまいすぎるのですよね。。

自分に自信がないので、これで良いのか?どうなのか?自分でもわからない・・・、ほどほどで終わらせておくというのが、なかなかできない。。
そこが大きな落とし穴だと、言う事なんですね。。

ADHDやPDDなどの人も、自分がどれだけ出来るかの頑張り方を、コントロールしにくいので、時には、頑張り過ぎてしまい、気がついたときには、精神的にとても疲れてしまったということありますよね。。


確かに、周りから良い評価を受けるのは、とても嬉しいこと。。
でも、「表面では肯定していながら、本当は肯定していない人間関係」では、信頼関係を築くのは、難しい。。「心に嘘を重ねなければ、続かない関係は、けして良い関係ではないはず・・」

そしてそんな関係の中で、心をすり減らして頑張った結果、肯定的な言葉をやっと言われたとしても、自分は、何も充足感も満足感も無かったということ・・・。
だって、他人の評価だけの為に、自分の心に嘘つきながら、自分の心をたくさんすり減らして、ただやってきただけなんだもの。

そして、相手もこちらがどれだけすり減らしたかも、気付こうともしない。。
そこで、わかるはずなんです。「結果だけが全ての相手には、その相手の方の利益になることだけが良いこと」なんです。すり減らして、ボロボロになった心については、無関心なんです。

確かに、会社での業績なら結果で評価されることが多いと思います。
お給料を頂くというのは、厳しいものです。
ですが、会社以外の場所での人間関係で、こういった関係があるのは、ちょっとキツイですよね。。


自分の心に嘘をつかなくても済む関係・・、
「あるがままの自分の心を出せる関係によって、本当の信頼関係築けるし、自分も成長できる・・・」

本当の意味で大事しなければいけないものが、どのようなことなのかわかったときに、自分の為と人の為、自分の心も相手の心も大切に出来る、自分なりの関わり方というのが、やっと見えてくるんだと思います。

このお話の少し前に、あることがきかっけで、作業所にボランティアに行ったのです。
その時に、好感を持たれる為に頑張るとか、良い評価をされる為に頑張るとか、といった気持ちを持たずに、ただひたすらに作業所の人たちと関わる自分がいて、偽る自分がいないことが、本当に嬉しかった。。

そのあとに、たまたまこのお話を読んだので、「表面では肯定していながら、本当は肯定していない人間関係」では、自分がどれだけ、偽った気持ちで過ごしてきたのか、やっと気がつかされました。。

2005年10月04日

ダブルバインド

先日、ある勉強会で精神障害のお話を聞きました。
そのお話の中で、印象的だったのは、

二重拘束(ダブル・バインド)・・・・
 コミュニケーションにおいて、ある意味の内容をもつメッセージを与える一方で、 それと矛盾するメッセージを、続けて与えるとすると、受け手は、その矛盾した内容を、どちらの意味に受け止めてよいのか混乱し、葛藤状態になってしまう。。。

 コミュニケーションにおいて矛盾するメッセージが繰り返し提示され、それから逃れることが出来ない状況である。

というのを聞き、とても心に残ってしまった。。

親になると、子どもの好きなように自由に、のびのびと育てたい
 →「好きなようにやっていいよ」と言うんだけど、
しつけや社会性を教える必要もあるので、そういう時は、
 →「そういう考え(行動)は、ちょっと待って、一緒に考えよう・・」と言いたくなる時ある。。
暖かみのある愛情こもった親子関係で、子どもの気持ちをたくさん肯定している話し合いなら、どこの家庭でもあると思うのだけど・・・・。

(但し、子どもに対し、支配的で、親の思うとおりの行動をとって欲しいゆえに、子どもの気持ち(考え)を、否定してばかりになっているという場合は、ダブルバインドに近くなってしまいます。)


ここで言う「コミュニケーションにおいて矛盾するメッセージが繰り返し提示される」と言うのは、もっと相手の心にとても大きな影響を与えてしまう意味での、二面性のある関わり方のことを言っていて、

メッセージを与える一方で、それと矛盾する(反対な意味の)メッセージを送るというのは、
「こっちへおいで」と言われたので行ったら、「なんて汚いかっこうしてるの!」とか、「行儀が悪い!」といきなり怒られたり・・などの
肯定的なメッセージの後に、否定的要素のあるメッセージが続く状況です。

そしてその矛盾あるメッセージに対し、反論出来ない(もしくはその矛盾について、聞いてはいけない)関係があるのが、ダブルバインドの状況です。矛盾あるメッセージに対し、疑問を投げかけることが出来き、かつ、その矛盾について、お互いにきちんと納得できる話が出来るのであれば、それはダブルバインドの状況にはならないのです。

矛盾ある行為について、聞いてはいけない(もしくは反論出来ない)状況のまま、その矛盾した状況をされ続けられると、聞き手はそのどのような意味に受け止めてよいのか混乱し、葛藤状態になり、もしくは自分の本当の心を、強制的に閉ざされてしまうのです。。

※矛盾ある行為について、聞いてはいけない(もしくは反論出来ない)状況・・・
という関係で多いのは、支配する者/従う者、として何かしらの、上下関係・力関係が伺えます。
つまり、そういった関係の中で、ダブルバインドは、起こりやすいということです。。


複数人から、たくさん矛盾するメッセージを与えられ続けられ、尚且つ自分の考えを言えなくなってしまう状況も、この二重拘束(ダブル・バインド)と同じ状況になるといいます。

相手を肯定している、受け入れている、というメッセージがあるかと思えば、後から否定の言葉がいともたやすく、相手を否定する言葉や態度をしてくる・・・。相手の心(考え)を、支配的に扱っているように見える」のが、ダブルバインド的な関わりだそうです。

この矛盾ある関わり方(ダブルバインド的な関わり)をしている人のほうは、相手をどれだけ混乱させているか?
・わかっていない、気がついていない場合もあるだろうし、
・相手を混乱させる為に、わざわざしている方もいるかもしれませんし、
・「肯定したくないという気持ちを隠している」ので、「本音の部分(否定している気持ち)が、どこかで表出してしまう」ので、矛盾した態度になっているかもしれませんし、・・
・相手に対し、自分の思い通りに操りたい、どこか支配的な部分がある・・・

どちらにしても、このような矛盾する関わり方を継続されたら、精神的に振り回されてしまうので、こういった関わりに対しては、うまくかわさないと、自分が疲れてしまいますよね。。

会社の中で、上司との関係/職場での人間関係や、その他の人付き合いの中でも、こういう矛盾した二面性のある関係は、多くあると思います。
「ダブルバインド」的な関わり方をして、部下の心理をうまく使っている上司や会社も、現実には多いでしょう。。

「表面では肯定していながら、本当は肯定していない人間関係・・・」 「矛盾だらけのメッセージ・・・」 鬱や神経症の素因を持つ方は、こういった関係はとても苦手な関わりであるようです。




悪意がある・なしに関わらず、こういった肯定・否定の二面性のある関わり方や、矛盾するメッセージなど、され続けられた場合、特に鬱や神経症の素因のある方などにとっては

「常に否定されているというメッセージしか受けることが出来ず、相手との関係で、常に混乱にさらされる為に、強いストレスを感じるようになり、神経症や鬱などの発症に、近づいてしまうということ。。

または、「自分は、否定される行動をとってしまった・・・」と、
とても落ち込み、自分はやはり受け入れてもらえてないと悩む・・
相手に、肯定されるように、とても頑張ってしまう。。
何とか相手に添うようにし、やっと「肯定するようなこと」を言ってもらえる時があるが、
次も、肯定されるようなお返事が返ってくるように
 ・自分の本当の気持ちを隠して、相手が気に入るようにふるまう。。。
 ・肯定されたいが為に、自分の本当の気持ちに、どんどん嘘をつく。。
それを何度か繰り返しているうちに、「肯定されたいが為の、自分の心を偽り続ける自我」と
「本当の自分を取り戻そうとする自我」との葛藤が始まり、神経症や鬱などの発症に、近づいてしまうということ。。

今まで、鬱や神経症のたぐいになった人なら、この二重拘束(ダブル・バインド)に近いような「表面では肯定していながら、本当は肯定していない人間関係」を、どこかで経験され、強いストレスを感じた方もいると思います。。

私も、こういった関係で(仕事関係ではなく、あるグループの人間関係の中で)
すごく苦しんで、鬱になったひとりでした。。(ーー;)
「表面では肯定していながら、本当は肯定していない人間関係」、
二面性のある関わりというのは、すごく苦手だといつも思っていたのですが。。
なるほど、、、そもそもこういった行動をとられることじたい、鬱や神経症などの素因のある方には、とても苦手な関わりのされ方なんだと・・・

2005年09月23日

悩める人々への銘・無名兵士の詩

自分は潔癖なところがあるようで、
表面だけ取り繕っている事や、
偽善が見えたり、
弱い人にはえばり支配し、強い人には大人しく従順にふるまう裏表の部分を見てしまったりすると、
とても嫌悪感を感じてしまい、大人になればなるほど、嫌いな人が、どんどん増えてきてしまったような気がする。。

でも、こう感じることじたい、どうなのか?自分は、それほど正しい人間なのか?と思うと、そういう人たちを、ただ嫌うことしか出来ない、心が狭いだけの人間なのだと、最近になってやっと気がついてきました。。(気付くのが遅いって・・。)
心の大きい人ほど、どんな人にも、寛容でいられるのでしょうから・・・。

テレビを見ていて、ある有名人の方が、「闇を知っているから、光を感じる事が出来る・・」と言う話しを聞いて、
人を傷つけて平気でいられる人を見て、嫌な思いを感じる・・・闇の部分
人の為に、純粋な気持ちで尽くして人を見ると、自分の気持ちまで、明るく暖かくなる・・・光の部分
生きることの苦しみや困難、悲しみを、感じるのは辛いけれど・・・闇の部分
大金・地位・名声・名誉が無くても、小さいな幸せを見つけることが出来る・・・光の部分

努力や苦労もなく、毎日が満ちたりて、幸せばかりだったら(光だけなら)、
闇の中にある、小さな光を感じることが出来る感性をもてなくなってしまう・・
そのような意味の話だったと思う・・・


ニューヨーク州立大学病院の病室に残された詩で、戦争に従軍した兵士がつくったといわれる詩です。。
この詩に感動した世界中の多くの人がいます。。。素晴らしい詩なのに、作者がわかりません。。
作者名がわかれば、亡くなった後になってしまうけど、そのご家族に、その方の詩に対する名誉や名声を受けることが出来たと思います。。

詩の作者本人には、自分の作った詩が、世界中のどれだけの多くの人に感動や感謝を与えているのか、実感できずに亡くなったかもしれませんが、名声など受けることもなく、何の見返りもなく、多くの人の心に感動や感謝を与えたことになった、この方に与えた素晴らしい神様の祝福というものを感じました。。

(クリスチャンか?と思われそうですが、私は、クリスチャンでもないし、何の宗教も入っておりません。。。)


「A Creed For Those Who Have Suffered」
(邦題では「悩める人々への銘」 として有名)


作者不詳

I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...

大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求めたのに
   謙遜を学ぶように 弱さを授かった

I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...

偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
   よりよきことをするようにと 病気を賜った

I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...

幸せになろうとして 富を求めたのに
  賢明であるようにと 貧困を授かった

I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...

世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
  得意にならないようにと 失敗を授かった

I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...

人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
  あらゆるものを慈しむために 生命を授かった

I got nothing I asked for - but everything I had hoped for.
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!

求めたものは一つとして与えられなかったが 
  願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬものであるにもかかわらず
  心の中の言い表せないものはすべて叶えられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ

2005年08月19日

人間関係で、人が嫌いになりそうなとき

人間関係のストレスで、疲れたとき、例えば

友達に愚痴ったり、
友達とおいしいもの食べたり、
どこかに、出かけて気晴らししたり
ストレス解消の工夫を、するよね。。

でも、今の私は、友達に話しても、会っても、なんだかすっきりしないんだ・・・

ここ1年の間、どうも精神不良の中で、
やっと最近、だいぶ精神が安定したかなぁ・・・と思っていても、ある出来事がきっかけで、まだまだよくなっていないなぁ。。と実感することもありで・・・
本当に安定して良くなるには、まだまだ時間が、かかるんだ。。。と実感したりして・・
でも、こればかりは、あせってもしようがないし。。

ちょっと怒ったような顔とか、冷淡な感じとか、そういった表情や言葉とか、態度を、人から感じると、そいういったマイナスのイメージ焼き付いちゃっって、一人ですごく嫌な気持ちになってしまう自分がいて・・・。
(長い付き合いの友達は、本当に信頼できて、安心出来るから、マイナスイメージは貰わないのだけど・・。)

ただただ、心が疲れちゃって、何の意欲ももてないような時が、今でもたまにあって、子どもの前では、せめて笑顔でいたいのに、笑うことが出来ない日があって、ほんとマズイなぁ。。と
おもうことが、たびたび。。

笑えなくなると、ほんとまずいと思う。。
鬱の前兆のような気がして。。

まずは、気分が落ち込むきっかけとなるようなマイナスの要因は、自分の記憶に強化されないように、嫌な気分に、どんどんなりそうと思ったら、

損得無しに、純粋に私や子どもに、暖かく関わってくれた人たちの顔を思い出すようにしよう〜と、なんとか気持ちの前向きをしています。

ほんと、ここ1年、精神不良で、暗くてねぇ。。。