自立心を育てられない、攻撃しか出来ない状態
私は、もとは依存者で、自分の弱さ、甘さ、短所を見たくない人でもあった。
子供を育てるうちに、段々と変わってきた。
自分を変えたいと思ったら、変えることは出来ると思う・・・
でもそれは、とても苦しいことだけど・・・・
よく、「他人は変えられない、自分を変えるしかないんだよ・・」という人がいる・・
確かにその通り、でも、自分を変えるというのは、ほんとに大変でもある。
忍耐力と客観性が必要になってくる。
忍耐力と客観性は、私の場合、後からついてきた。
まずは、自分というのは捨て、子供の為になる事だけを、純粋に頑張っていたら、自分が少しずつ変わってきた。
性格や思考のクセの全ては変わるのは難しいと思うが、
でも、本当に苦しい思いの中で、少しずつ変わってきた。
だって、自分の弱さ、甘さ、短所を見つめることをしなければ、少しでもまっとうな子育ては出来なかったから。
私は、親から暖かい愛情を持って、育ったという記憶はあまりなく、むしろ、親のエゴや自己中心的な思いで、育てられてきた。だから、私は、親に対してとてもひねくれている。
それでも、自分の産んだ子供に対して、私は純粋に子供を信じている。
私が、苦しい思いをして産んだ自分の子供だから、どんなことがあっても信じているし、守りたい。
そう思って、子育てしてたら、自分が少しずつ変わった。
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それと、もうひとつ
「あなたの考えは甘い」と言った言葉を言われた時、
その人を想った厳しい言葉なのか、
ただの自分の感情やエゴだけの批判の言葉なのか、
同じ言葉を言っていたとしても、全然意味や重みが違う。
相手を、本当に想った厳しい言葉であれば、言う方は、とても強い願いと、相手の幸せを、自立心が育って欲しい、想いをもって言っている。
自分のエゴや感情で、相手をその場で非難する言葉とは、全く違う想いが込められている。
だから、「貴方は甘い」とか、「許されない」と言われても、想いの違いを見分けて聞く。
今でも、私は、私の事を心底想った人から、「貴方は甘い」とか、言われたりする。
でも、腹立たない。 だって、私の事を本当に想って言ってくれているのだもの
自分のエゴや感情で、相手をその場で非難する言葉と言ってきた場合は、もちろん嫌だよ。
たいていは、そうじゃないかな・・・?
厳しい言葉の中の、相手の想いや感情を汲み取る事が出来るかどうかが、客観性だったりするのだと思う。
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ブログって、自分の自論をただ述べているだけであって、ある意味恥ずかしいことでもある。
だから、なるべく自慢は書かないようにしようと思うけど、どこか自慢気だったりの文に、なってることもあると思う。
また、私の怒りや負の感情がこもった文が、ある人にとっては、批判めいた感じに、受け止められることもあると思う。
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自論になるけど、私の感じたこと。
自分で自立心を育てようと思っていない人、つまり人に何かしら依存して生きている人は、自分の弱さや短所を見つめる事が辛い。
自分自身の自立心を育てようと思う気持ちや、意志はどこからくるのかは、その人の育った経緯、生きてきた経緯、持っている資質、その人の思考の特性、等・・・色々と影響あって、自分自身の自立心を育てようと思う気持ちになるのだと思う・・・
自立心を育てようと思えない人を、いきなり弱い人だとは思っていないが・・・
ただ、自分の弱さや短所を見つめることを冷静に出来ないと、人を攻撃的な言葉を投げつけることしか出来ず、それで自分の気持ちの憂さを晴らすしか出来ない現状さえも、自分で認められない・・・、自分の負の部分は、常に客観的に見れなくなっているのだ・・・・
そして、「弱い犬ほど吼える」んだよ。
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確かに、自分を厳しく見つめる事は、辛く、苦しいことでもある。
だから心を解放したり、癒したりする事は大事だと思うが、
自分の弱さや短所を客観的に見つめる事が出来ないと、攻撃的になったり、怒りになったりもする。
ちょっと気に入らないだけで、人を攻撃してしまう。
なぜそこで、自分が気に入らないと感じたのか、考えようとはしない。
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なぜそこで、自分が気に入らないと感じたのか、考えようとしない??
どうして考えないのか・・? 自分の弱さや短所を見たくないから・・・??
本当に強い人は、人を助ける力を持っている。
だからしっかりとした心の強さを持っている
強さとは、腕力とか言葉の攻撃力とか、地位とかではない。
私は、何人もの心のしっかりした人たちに、支えて貰った。
確かに、それぞれの専門資格は持っている人達でもあったが、専門資格は持っていても、人を傷つける事しか出来ない人もいれば、支えや癒しになってくれる人もいる。
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今でも、たまに支えてくれる人に、私は出会う。
子供のことではなく、私自身に対して・・・・
その人達が一様に、私に対して感じる共通点は、
「とても一生懸命なので、思わず支えてしまっている?(応援したくなる??)」そうだ・・・
私は、助けてとも言わない。支えても言わない。フォローしてくれでも、応援してくれも言わない。
それでも、いざという時に手を差し伸べてくる人がいる。
一生懸命頑張っても無理だ思う時に、助けてくれる人がいる・・・
たぶん、私の場合、無理だと何度も思いながらも、一生懸命続けてしまうのだ・・・。
そうしているうちに、応援してくれる誰かに出会ったりするだけなのかもしれない。
私は運が良いという派手な事ではなく、ただただ忍耐強いだけなのだと思う。
忍耐強いというのは、自分に厳しくなければ出来ないよ・・・
忍耐強く、地味にやってても、助けてもらえることはたくさんある。
だから、人に対しては、感謝を忘れずにいたりする。
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私は、人当たりは強いタイプではないのだけど、すごく芯のある人だといつも思われる。
私を助けてくれるのは、いつも芯のある人たちだからだ・・・
やっぱり、類は呼ぶのだと思う。
だから、芯の弱い人は、芯のある私に対し、何かしらの負の感情を持ちやすいのかもしれない。
芯の強い人は、自分の自立心を育てる事に夢中なんだ。
芯の弱い人は、自立心を育てることより、自分の弱さ、甘さ、短所を見たくないので、ただ人を攻撃するか、依存するかなんだよ。
そして、私も、もともとは依存者で、自分の弱さ、甘さ、短所を見たくない、芯の弱い人でもあった。
子供を育てるうちに、段々と変わってきた。
自分を変えたいと思ったら、変えることは出来るよ・・・とても苦しいけど・・・・
いきなり人に攻撃的な言葉をかけることじたい、自分に甘いということなんだよ。
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