2008年02月15日

偽善者同士は仲が良い--類は友を呼ぶ

http://www.ashappy.net/psy/3/post-68.html

Xさんは、担任の先生への批判もすごかった。

「偽善って大嫌い」で、出てきた先生がこのときの担任の先生
http://www.ashappy.net/psy/3/post-47.html

不登校の女の子に何もしなかった先生

1学期に、その女の子が転校すると決まってから、転校するきっかけ?にさせてしまった?かどうかはわからないけど、一部のクラスの子達を睨んでいたけど、
アンタ自身、何もしてこなかったくせに、人を非難できるのか?・・というような先生
(この先生が、Z先生)

そんなZ先生なので、私自身の先輩からのいじめは、この担任の先生に相談する気にもならなかった。

上級生の担任をしている先生の中で、不良の先輩達をいつも堂々と注意できる先生に、私は相談した。


私は、この時から、偽善者とそうでない人の区別が出来て良かったと思う。
(相談する人を間違えると、話がどんどん混乱してきて、事態がもっと悪化することがあるから・・。
特に、偽善者は相手の為の善意行為ではなく、自分の為の善意行為なので、何も解決しない場合が多い。)

このとき、この上級生の先生に相談していじめがすぐに無くなったりはしなかったが、私としてはいつも嫌な思いで学校を過ごしていることを伝えることだけでも、何も言わないよりかはマシな気がした。


3学期も終わり、先輩達もやっと卒業した。

進級して、クラス替えの発表の前に、Xさんがこの中2の時の担任のZ先生に何かを伝えて、先生が「大丈夫だよ」と言っていたのが聞こえた。その後に、クラス替えが発表されて、新しいクラスに皆それぞれが移動した。

Xさんは、とても満足な表情で、新しいクラスに移動していった。
Xさんの、クラスの担任はこのZ先生だ。
中3になった時には、どの人から見ても、すっかり仲良しに見える、XさんとZ先生。

Xさんは、本当にすごい人だと思った。こんなに影で批判しながら、その人と大の仲良しになってる。
Z先生を強く批判していたXさん、Z先生と仲良しになってるXさん、
どっちが、本当のXさんなんだろう。

どちらにしても、私はXさんもZ先生も大嫌いだ。

私はXさんと違うクラスになった。良かったと思う。

2008年02月09日

誰も頼りになる人がいないとき

複数の上級生に生意気だと目をつけられ、相手は複数。相手の人数が多ければ学校でその上級生達に会う確率も高くなる。ほぼ毎日会っていた気がする。だから毎日、人格を否定される言葉を浴びることになる。

そして、そんな私から離れていく友達がいる。
トイレで実際に先輩の悪口を言っていた彼女は、見事に離れてくれた。それでも、その上級生達に、実際に悪口を言ってたのは、彼女だとは私は言わなかった。

(この彼女を、Xさんとして)
私は転校してまだ半年くらいしか経っておらず、困った時にどうしたら良いのか相談出来る友達がまだいなかった。それに、その状況を話したとして、誰が私の話を信じてくれるのだろうか?と思った。転校してきたばかりの私の話と、彼女Xさんのこと、どちらを信じるのか。



Xさんと私では、とうていわかりあえない何かを感じた。
部活が一緒、クラスでの班が一緒、なら当然、彼女Xさんと一緒にいる時間が私にとっても多くなる。そんな中で、彼女から出てくる話は、人の批判ばかりだ。一見すると人の批判を多く言うように見えない彼女だが、私と一緒の時はとても批判が多かった。

私は毎日彼女の人への批判を聞いていた。
今思うと、転校生で周りの人をほとんど知らない私だったからこそ、彼女・Xさんにとってはそういった話をするのに、私という人間が都合が良かったのかもしれないと思う。

転校したばかりで、誰がどんな人かわからないのに、彼女の人への批判を毎日聞いていた。でも彼女の批判を鵜呑みにすることは無かった。

なぜなら、例えばAさんの批判をしていたとして、その数分後Aさんに会ったとする・・、Xさんは何事も無かったように、Aさんに笑顔で話しかける。Aさんは、自分が数分前にXさんに辛辣に批判されていたなんて気が付きもしない。



前の学校の時は、友達に対し何かしらの不満があった場合、直接その思いを友達に話して、喧嘩もするけど、正直な思いを友達に伝える事で、どんどん仲良くなっていく。過去の喧嘩も笑い話に出来る付き合いをしていた私には、この周りくどい人への不満の表し方をとても陰険に感じた。

そして、「自分が損しない程度に行動できる」それに非常に長けている彼女Xさん・・。
それが私の彼女の印象。彼女には、とうてい私はかなわないと思った。
だって、ついこの間まで、友達に対しては、思ったことを口に出し、喧嘩してそして仲直り、その繰り返しで仲良くなる。そんな単純な付き合い方しか知らなかった私に、このXさんのような複雑で周りくどい付き合い方がどうしても自分にはできない。

しかも、友達には正直な思いでつき合ってきた私には、心の中にこんなにいろんなマイナスの思いをいつまでも抱えたまま、その人と付き合い続けるなんて・・。

こんなつき合い方、私ならされたくない!!
だから、私は友達にこんな思いをしたくない!!

とつくづく思った。

私と彼女は、人と付き合う上での根本的な部分の考え方が違うと感じた。だから何か私に困ったことを話しても彼女は何も私に理解を示す事はしないだろう。と感じた。

ことの事情を充分知っている彼女Xさんは、自分に損がないように、私から平然と離れていける彼女だ。

彼女もこの上級生の虐めにとても関わっている人なのに、私は彼女にこの事で何かを言うことは無かった。平然と去っていける彼女にと、立ち止ませるほどのものを私は何も持っていない。

彼女Xさんは、忘れっぽいADHDもなければ、アスペルガーでも無い。通常の発達の方です。
頭の回転の良い、場の状況をうまく読める彼女が、ここまでしらをきり通している、その彼女Xさんに私が、面と向かってたちうち出来る言葉をかけるものを何ひとつ私は持っていないと思った。



それでも、彼女を必要以上に憎まなくて済んだのは、それまでに付き合ってきた自分の友達のおかげだった。。私が本当に親しくなった友達は、こんな卑怯な付き合い方を友達にはしない。もっと正直で堂々としている。正直で堂々としていることを自分も信じることが出来た。

ただ、私の母は相変わらず、私の苦悩を知ろうともしない。
私がある日、「転校しなければ良かった。前の学校の友達の方が良かった」と言ったら

「あら、ついこの間までは転校して良かったと言っていたじゃない」と母に言われた。

「転校して良かった??」そんなこと私がいつ言ったのか??
むしろ「転校したくない」と、転校前に何度も言った覚えがあるが・・???

どうして、私の母はいつもこのように私の気持ちを勝手に違う内容に受け止めるのだろう。

私が母に伝えた話が、母には、母の都合の良いように、または母が勝手に母の都合の良い内容に変えられてしまう。私のきちんとした気持ちを母に届いた記憶がほとんどない。

そういえば、先日母が「鈍感力」を読んでみたいと言った。
なんでも「自分はどうやら人の気持ちに鈍感な様なので読んでみたい」と言うのだ。
私は、「読んで欲しくない」と言った。私だけの感想では通じない母なので、一般的な人の感想として、アマゾンなどの本のレビューを見ればわかるが、多くの人が「鈍感=自己中心解釈で生きて良い」などど思ってはいないという事を伝えた。
本として売れたかもしれないが、内容としては非常に評価の低い内容であることを伝えた。

これ以上、人の気持ちを踏みにじってる行為に、あまりにも自己中心的な自己正当化を加えないで欲しいと思った。自己中心的な言い訳、自己中心的な気持ちだけを押し付けてくるのは、もううんざりだ。あなたの気持ちもあるだろうが、こちらの気持ちもあるのだ。

お願いだから、自分だけの気持ちを押し付けるだけで話を終わりにするのはやめてくれ。
お願いだから、相手の気持ちを受け止めた上で、自分の気持ちを伝えてくれ。



人の話をきちんと聞かない、気持ちを理解しようとしないという行為へ非常に許せないのは、こんな母との毎日の繰り返しからも来ている。

当時の私にとって、自分の思いがそれなりに届くという実感をどこで得ていたか。

それはテストの点数だった。
それなりに勉強すれば、それなりの点数でその努力が報いになる。テストの点数は私を裏切らない。当時の私の慰めはテストの点数だった。

または、好きなスポーツ。自分が努力すればそれなりの成果で返ってくる。
これで自分の自己評価や精神面を保つことが出来た。

だからこそ、それさえ出来にくい、自分の努力がいつも空しく終わるのであれば、心が壊れるのは、当然のことだろう。

また、当時の私が自分の自己評価や精神面を保つことが出来たからといって、これで終わった訳でない。その数年後、高校生の時にこの時の痛みが後遺症となって出てきた。

人の思いを知りもしないで、断定的に言う
鈍感すぎて気付く努力にもいかない
勝手に自分中心に物事を解釈する

そんな人たちにまで、これ以上心を踏まれてまで耐えられる強い人、
そんなに強い人がこの世の中にたくさんいるのか?

軽々しく人の心を扱う人々、そんなふうに感じるたびにいつも怒りを感じる
人の心は、それぞれの人にとって大事なものです。
それぞれの人の大事なものは、大事に扱うべきだと思う。



例えば
混んでる電車の中で、電車の揺れの関係で誤って人の足を踏んでしまった時、どうしますか??

「わざとではないので謝らない」
「わざとでは無いが、人に痛みを与えたのは事実なので、謝る」

どちらですか?

「わざとではないので謝らない」
「悪気はないので謝らない」
本当に、そういった考え方でよいのでしょうか・・?


「わざとでは無いが、人に痛みを与えたのは事実なので、謝る」
こう思えた人、私も同じ気持ちです。
心も同じだと思います。
痛みを与えたという事実があるなら、それについては気がつき相手の気持ちを癒すことに気持ちを向ける努力する。

心は、物のように傷つけた時に、そのキズが目に見えてわかるものでもない
心は、肉体のように、傷つけた時に目に見えてその傷がわかるものでもない
わからない心は、わからないままのあやふやでよいのだろうか?

わかりにくい他者の心を、人の気持ちを理解するには、わかろうとする思いや気持ちは必要だとは思っています。多くの人は、人を第一に思いやるほど、自分に余裕が無かったり、多くの人を受け入れるほど心が広く無い。それなら尚のこと、理解しようとする思いや気持ちは必要だと思う。

2008年01月26日

虐めとは、その人の人格や人権を叩きのめし否定することです...1

幼児期は、ある保育所と2箇所の保育園、計3回の転園
小学校中学年で、1回転校
そして、中学校でまた1回の転校

親が転勤族だったわけでなく、保育園時代では、保育園の定員というのがあったり、また通いやすい場所に新しい保育園が出来たというのもあり保育所・保育園は、計3回変わった。小・中学校では、それぞれ住んでいた家を引越したので学区が変わり転校した。

幼児期の計3回の転園では、妹が、「トイレがとても近くなる」とか、「頻繁にお腹が痛くなる」とか、「熱が出て中耳炎になる」など、妹は身体症状をよく出したので、妹は母によく心配されていたようだ。
また買物に行っても「もう歩けない」と道端にしゃがみ込むのも妹だ。
私は、ほとんど母の手を煩わすことは無かった。

自分でも言うのもおこがましいけど、幼児期の私は本当に親を煩わせない「良い子」だった。



小学校での転校では、クラス替えのある4年生の1学期の最初に入れるように出来たせいもあり、スムーズに馴染めた。そして小学校卒業までこの小学校にいた。

中学に入り、中学1年の10月に別の地域の中学校に転校した。この時の転校は親が家を購入した為の転校です。

私の入っていた部活はスポーツ競技だったのだけど、前の中学では部活動の練習が厳しかった分だけそのスポーツ競技を自分なりに上達していた。こんなこと自分で言うのも嫌なのだが、先輩よりも上手かったりもした。

もうひとつ、転校先での制服を母がすぐに用意はしてくれなかった。
一人だけ違う制服というのはとにかく目立った。
早く、今の学校の制服を買って欲しいと言っても「子供はすぐに大きくなるから」とか、「家を建てたりしたので今お金が苦しいから」とか、母はいつもお金が苦しいと言って買ってくれない。

だけどその母が地味な慎ましい服装の母か?というとそうでもない。母は今でもそうだが自分の見た目をとても意識する人で「大人は体が大きくならないから」というのを理由に自分の服はしっかり買っている。

学期の途中からの転校生というのもあり、また違う制服を着て目立ってしまうことが「生意気」だというように思われるのに、時間は掛からない。。



部活をしている時に、鞄を渡り廊下に置いていたのだけど、ドブに筆箱とか色々・・捨てられてた。
音楽や美術の移動教室の時に、あるクラスの前の廊下を歩くと「すっげー!生意気!」といわれる事もあった。

でも、このくらいではそんなに気持ちが凹むことは余り無かった。
クラスに仲良くなった友達もいたおかげだと思う。


(2年生に進級する時にやっと制服を買ってもらえました)
2年生になった時、クラスの最初の班グループで一緒だったというのもあり、ある子と仲良くなった。この子はやたらと先輩の悪口を言っていた。私は中1の途中で転校してきたので、その子から先輩の悪口を聞かされても、どの先輩のことを悪く言ってるのかさっぱりわからない。とりあえずよくわからないけど、ただうなづきながら聞くしか出来なかった。

ある日私は、少し不良ぽい先輩から呼び出された。
「トイレで私がある先輩の悪口を言ってた」と言うのだ
私は、「そんな事は言ってない。私では無い」と言ったが、信じてもらえない。

その時に、もしかしたら・・と思った。
仲良くなった友達がよく先輩の悪口を言ってる・・
その子と私が勘違いされてる・・って。。。
でも、その子が言ってる事だとも私は言えなかった・・・



それから・・・、そのいわゆる不良の先輩達から私は、学校への行き帰りや学校内で会えば必ずと言っていいほど
「生意気なんだよーー。ガッコに来てるんじゃねえ」
「すっげーむかつく、顔も見せるな」
「気にイラねえ、死ねよ」
「おめーなんか、いなくていいんだよ」

とにかく学校への行き帰りや学校内で会えば必ずと言っていいほど言われた。
たぶん、ほぼ毎日、言われてたと思う。
不良って、たいてい連るんでるから、数人から毎日言われた。

こういう状況を毎日っていうほど繰り返すと、どうなるか・・?



人それぞれというのももちろんありますが、私の場合は非常に周りを気にする、びくびくする人になってました。自分を否定する言葉、生きているな、存在するな、と毎日言われる。

当然傷付く。でも自分ではどうすることも出来ない。
出来る事と言えば、その不良の先輩達になるべく会わないように祈るしかない、会わないように・・と思うしかない・・・。びくびくした日を毎日過ごしていました

2008年01月12日

誰かを落としいれることで何か救われることがあるの?--スケープゴート

(初めてスケープゴートというものを認識したとき)

幼児期は、ある保育所と2箇所の保育園、計3回の転園
小学校で、1回転校
そして、中学校でまた1回の転校

親が転勤族だったわけでなく、保育園時代では、保育園の定員というのがあったり、また通いやすい場所に新しい保育園が出来たというのもあり保育園は、2回変わった。


最初の保育園というか保育所は、一時預かり?という感じの小さいところで、私と妹と他の兄弟で4人の子供がいた。一緒だった兄弟は、兄と妹の二人兄妹で、このお兄ちゃんの子がなんだか意地悪だったのを覚えてる

例えば、絵を描いていてその兄妹が「くれよんを貸して」と言われたら、私も妹も普通に貸したりする。でも私達が、その兄妹に「くれよんを貸して」と言うと、絶対に貸してくれない。「なんで貸してくれないの?」と聞いても、お兄ちゃんの方が「自分達のだから貸したくない」という。

なんだかすごくずるく感じたので、その兄妹が貸してと言った時に、私も貸さないと言った。そしたら、すぐに保母さんに言いつける。そして私が叱られた。その時に、「だって、○○君は、私達がいつも貸してるのに、○○君は、貸してくれないから」と保母さんに言ったら、

そのお兄ちゃんは、「そんなことしてない」と言う。そして兄妹で一緒にそうだよねと言ってる。

私も妹とタッグを組んで、言い返したかったが、私の妹はまだ2歳になったばかりくらいで、私達のやりとりをきょとんとして見てる。



それからというもの・・

私の筆箱セットの中に、その兄妹達のくれよんや色えんぴつの一部が入っていた。筆箱セットを空けた私は、何で人の物が私の筆箱セット中に?ときょとんとした。

その瞬間そのお兄ちゃんがすぐに保母さんを呼んで、私がその兄妹の物を盗ったということを言われた。私は盗ってないと言った。でもまた兄妹で、タッグを汲んで私を責める。

私の横には、2歳になったばかりの妹が、横できょとんとしてる。

なんで、その子がそんなに意地悪なのかはわからなかった。

そんなことが数回続いた。

そして、保母さんは、私に対してはどんどん厳しくなり、そしてその兄妹には優しかった。


彼は、私にそれをして何かが気持ちがはれることはあったのだろうか。

私は覚えているけど、彼は今でも自分のしたことを覚えているだろうか・・・

そして、私はこの時期から、人を落としいれるという行為に、敏感に感じるようになる



 私が二十歳過ぎてから、母親に言われたこと

ある保育所に行ってた時、「お宅のお嬢さんはとても嘘つきで将来が心配だ」という手紙を、その保育所の保母さんから貰ったそうだ。母は、なんというひどい手紙をよこすんだと、すぐに読み捨てたらしい。

私は、二十歳過ぎてからそんなことを聞かされて、それまで全く知らなかったのを腹立だしく感じた。出来れば二十歳過ぎてからこのことについて話すのではなく、当時そのことがあった幼児期のその時に話したかった。でも忙しい母が私と話をする・聞いてくれる・・そんな時間は私が幼児期の時の当時はあまり無かった。。

(成長の過程の中では、必要な時期に必要な話をすることが大事なことだが、私の場合いつも母が忙しいということで、私の本当の気持ちは、母へきちんと話したり伝えたりすることが出来なかった。どんなことがあっても自分で考え自分で処理していく・・それが当たり前のように自分は過ごしてきた)

二十歳過ぎてからになってしまったけど、もちろんその保育所であったことを話した。
その時の状況やその時の私の気持ちを、私はとても強調し、母に理解して貰いたかったが、母はただ、ひどいことをいう保母さんだとしか言わなかった。

母に、私の汚名を晴らすきっかけがあったけど、私自身の事実や思いを伝えてるわりには、なぜか私の思いとはちょっと別なところに重点を置いてる母の思いにズレを感じ、すっきりしない気持ちが残った。

余裕の無い親に育てられるというのは、
子供には親の余裕の無い分だけ、何かがどんどん溜まっていく。
そして溜まり溜まった心も、こうやって思い違いですっきりすることも出来ない。



(・・・保育園の話に戻します)
その時の保育所から次の転園した保育園の保母さんは、集団生活の中で身辺自立を早くに求め、集団生活で常にスムーズに行動できる状況を求めたがり、厳しい先生でここでも良い思い出が無い。

嫌な思い出が続いたので、最後の保育園の保母さんがとても優しく暖かい先生で、すごく嬉しくて甘えた。この先生のことがあまりにも大好きで、よく間違えて「お母さん」と何度も呼んでしまうくらい、お母さんの次くらいに、大好きで甘えられる先生だった。

最後の保育園の大好きな先生・W先生は、「母さんの歌」をお昼ね前やお帰りの歌でうたっていた気がする。和田先生は、私達に、「お母さんは働きながら一生懸命育ててるんだよ。」「一生懸命育ててるお母さんが大好きだよね」って話してくれた。



保育園に通ってる子達は、幼児ながらも働いてる親に気を使うことがあって、仕事している親を煩わしたくないと思う気持ちと、甘えたい気持ち、小さいながらにこういった対極の気持ちの葛藤を持ってることがあると思うのだけど、

家事や仕事で忙しく疲れてる親に早くから身辺自立を求められ、保育園でも自立を求められたら、子供は苦しくなると思う。。幼児期は、どれだけ自立出来たかが大事ではなく、どれだけ親に安心して甘えられたかが、大事なはずだから・・

W先生は、子供なりの葛藤やけなげに我慢している気持ちを、「お母さんの歌」で「一生懸命育ててくれているんだよ」ということを私達に伝え、また甘えたい私達の気持ちをいつも受け止めてくれて、私達が先生に甘え、抱きつき、飛びつけば、いつでも受け入れてくれた。

「母さんの歌」   窪田聡 詞・曲

母さんは夜なべをして
手袋あんでくれた
木枯らしふいちゃつめたかろうて
せっせとあんだだよ・・・・


そして、当然だけどW先生は、どんな子にも同じように暖かい。
W先生は、好き嫌いという差別的な行動を子供達に見せ、差別を教えるような先生では当然無い。



心を見ようともしない、解ろうともしない、
断定的な判断しか出来ない人が、事実を見抜けるわけがない。

えばり叱り付けるしか出来ない大人というのがいるということ、
そういう大人が嫌いになったのが幼児期から。


また、スケープゴートを作りたがる心理・思考が、個人的にはどうしても受け入れにくい。
(スケープゴートとは)
不満や不快を感じた時に、そうした問題を他人のせいにいてその問題を解決したかのようにもっていくという傾向を取りたがる一部の人たちがいる。この概念は特定の集団において起き得る事であり、そうした不快感の原因を押し付けられたり被けられたりした個人は、その特定の集団内においてスケープゴートとなるのである。


あの時の保育所の意地悪なお兄ちゃんはどんな家庭環境だったのか私は知らない。

甘えたい盛りの幼い時期に母親と関わる時間が短く、外に預けられ、またそれ以外に愛情を求められない不満が、私などへ意地悪することによって、心が晴れるというのなら、本当にそれこそ私もその子も辛いとしか言いようがない・・・。

そしてそれを助長させることしか出来ない大人が側にいて・・。
悪は悪しか産まないから、悪循環という言葉があるんだ・・

2006年11月15日

独断と屁理屈な気まぐれ開始・・・

サーバーにMTブログでたくさん書いていくのは、メンテナンスがわりに大変なので、日々のどうでもいいことは、こちらにしました。

→ 独断とへりくつなBlog

2006年07月15日

狩猟民族に憧れてた・・・

私の父は、子どもがそのまま大人になったような人で、父が二十代の頃の写真は、どれもふざけたポーズの写真ばかりで(シェーのカッコの写真とか)、父の若い頃の写真を見ると、父の子どもっぽさ、落ち着きのなさを感じます(笑)

父は、世界中の民族が出てくるドキュメンタリー番組が好きで、特に狩猟民族が出てくる番組を好んで見ており、「自分は、狩猟だけで生活出来るところに生まれたかった」と言っていました。。

なので、ADHDは、狩猟民族の子孫という説の話しを聞いたときには、父を思い出しました。でも、ADHDと診断された人の多くには、PDDを持っている人が多いという最近の実態を知ると、狩猟民族系のADHDと、PDDが混ざったADHDには、社交的なこと意外には、運動神経の違いも感じます。。。


父は、釣りが大好きで、釣りに行ったときに、どこかの川原の近く?で、弱っている野鳥を、見つけては、いきなり家に持ち帰って、手当て?を、よくしていました。。。洗濯物を入れるカゴに、いきなり大きな鳥の雛が突然いたりして・・・、あぁ、また父が拾ってきたんだな・・と思いました。

父は、自営業をしていたのですが、父のその子どもっぽさが、ハタから見ると、とても純粋で、愛嬌のある人という印象を与えるようで、自営業でしたが、営業スマイルや、頭がキレるような社交性などが、父にはなくても、父のその生まれ持った、得のような?その愛嬌のある性格で、取引先を、自然に獲得していました。

でも、父は、だまされやすい人でもありました。自営業というのは、色んな人に出会いますが、あまり良い相手では無い人に、関わることになってしまいました。
ここから、私の家族も、どんどんおかしくなってきました。。

世の中には、人を喰い物にする人がいるんですね。。。
私より、もっとすごい裏の世界を見たきた人、もちろんたくさんいるかもしれませんが、私も、けして、生ぬるい世の中だけを、見てきたわけではないので、お金が無くても、平穏に暮らせることが何よりの幸せだと、心から思います。

またそういったことがあったせいか、「人を利用する」とか、「自分の損得で、人との付き合いを選ぶ」という考え方は、今だに好きになれません。。

でも、魅力的と思われる人や、人を惹きつける力のある人、言葉巧みな人の中には、「人を利用する」とか、「自分の損得で、人との付き合いを選ぶ」人がわりに多いのも、事実で、そういった人から、「利用する」とか、「付き合い上の損得」などの、考えをもった言葉を聞いてしまった途端、私の中では、一気にその人への、信頼の感情が失せてしまうので、こういうのは、父の生き方を見てきたおかげなのかなぁ・・

私が、息子を妊娠している時に、父は病気でなくなったのですが、この人を喰い物にする?人から、父の娘(つまり相続人)という事で、かなり嫌な思いをしました。。
なので、妊娠中は、本当に最悪な時期をも、同時に過ごしていました。。


先日の世界ウルルン滞在記を見ていたら、ブラジルで、狩猟と放牧と釣りで生活している人達が紹介されていて、自然の中に生きる狩猟民族に憧れていた父を思い出したんですよね。。。
運動神経の良いところ、だけど、すごく子どもぽいというか・遊び心がたくさんある、動物と自然をとても大事にしている・・・、その人達の家族の中に、赤ちゃんがいました。

父は、もう亡くなっていません。。。。なので、その赤ちゃんを見たとき、今度生まれ変わったら、こんなところに生まれたら、いいね・・、お父さん・・・、人を喰い物にしか思わないような?人が居ないところに生まれてね・・・と、思ったのでした。。

2006年06月09日

ニュース字幕のLDの文字に、その都度反応

ここ最近、ニュースの字幕に、『LD』という字を見かけるときが、わりにあり、
その都度、
「何?何?LD(学習障害)のこと?」
と反応するのだが、

映像には、「ファンドの村○氏」とか、「lived○or関連の堀○氏」が・・
つまり、「LD」==>>「Live D○or」ですか・・(^^;;;)

それにしても、「LD」==>>「学習障害」のインプットが強い私には
「Live D○or」になかなか繋がらないので、

「何?何?LD(学習障害)のこと?」と
毎度のように、反応し(爆)

「村○氏」とか、「堀○氏」の、映像を見てやっと
ああ、あの件のニュースね。。と何度も繰り返してる;;;

2006年04月22日

本の処分と、ハリーポッターDVD到着・・・

最近、本当に部屋の片づけが出来ず、授業参観も近づくので、母に部屋の片づけを手伝ってもらった。。独身の頃は本好きで、それでも、結婚を機にかなり処分し、引っ越す度に、増えてしまった本を処分し、今回の部屋の片づけでは、独身の頃から取って置いた本を処分することにした。。

もともと、ベストセラーとか売れている本と聞くだけで、読みたくなくなるくらい、流行というのが好きではなくて・・・。村上春樹の「ノルウェイの森」が出た時、当時はすごく流行ったのに、やはり私は無関心で、友達がたまたま「読んでみる?」と貸してくれたので、読んだら、すっかり「ノルウェイの森」にはまってしまい、

それ以降、村上春樹関連のものは、色々と読んでいたけど、その中で、今でも読み返したいと思うのが、「世界の終わりとハードボイド・ワンダーランド」「羊をめぐる冒険」など・・、処分しないことにして

村上龍では「走れ!タカハシ」。最後の章の「オレは17歳だがとっても忙しい、理由はしっかり者だからだ・・」で始まるストーリーが好きで、これもたまに読みたくなると思い、こちらも取っておく事にした。。。

W村上が残っている・・・。


子どもを妊娠中、出産後では、育児関連が多くて、診断受けてからは、神経心理学関連とか、精神心理や発達障害関連が多くなってしまい、それ以外読むとしても、ノンフィクションの本を読むことが多くなってしまった。。

そんな中でも、ナンシー関さんの本や、さくらももこさんの本は、面白くて、心が楽しくなるので、今でもよく読み返して読んでます。


息子が小2の頃、ハリーポッターの「賢者の石」がベストセラーで、やはり私は無関心で、読みたいとも思わなかったのだけど、息子が図書館で「賢者の石」を読んでいると聞き、漫画や図鑑、怪傑ゾロリ以外の本を、息子が読んでいると聞いて、「え〜!?どんな本なの?」と思い、

息子が、学校から借りてきた「ハリーポッター/賢者の石」を読んでみたら・・・・、私のほうがはまってしまったという。。特に、「アズカバンの囚人」を読んでからは、もう次のストーリーが待ち遠しくなるくらい、ハリポタファンになってしまった。。

ハリポタの何が好きかというと、魔法界の話も、楽しくて好きなんだけど・・・
一番好きなのは、ダンブルドア(校長先生)の言葉の数々・・・。
地位と権威欲を軽蔑し、傲慢さを恥ずべきものとしている、ダンブルドアの考え方や気持ちが、言葉の数々にあふれている感じで。。

「若い者には、老いた者がどのように考え、感じるかはわからないように、年老いた者が、若いということがなんであるかというのを忘れてしまうのは、罪・・」(不死鳥の騎士団/下巻・・)

とか・・、説教くさくないというか、上から物いう感じがしないのが好きなのかもしれない・・・

レイモンド・チャンドラー著「プレイバック」に出てくる探偵フィリップ・マーロウの言葉の中で、
「強くなくては生きていけない。優しくなくては生きている資格がない。」
の有名な言葉も、昔、すごく惹かれた言葉だったけれど、今思うと、かっこ良すぎて・・・

ハリポタの場合は、ストーリーは現実離れしているけど、(なんたって魔法界だし・・・)、それでも、出てくる登場人物の心情や想いなどは、かっこ良すぎる性格の良い主人公もいなければ、主人公の周りにいる人達も、性格が良い正義の人達というより、どこにでもいるような・・・

陰湿に見えるスネイプ教授に対して、ダンブルドアなりの信頼感とか読んでも、偽善に感じないのは、ローリングの感性が、善意を押し付けて来るような言葉ではないのが、読んでいて、好きなのかもしれない。。
押し付けがましいのは、そもそも苦手なので・・・

5月17日発売の「謎のプリンス」は、「アズカバンの囚人」と同じくらい楽しんで書けたとJKローリングがインタビューで答えていたので、すごく楽しみです。

ハリポタの英語版では、アダルト版があるくらい、大人にも人気のようですが・・・
英語が出来ないので、原作で読めないのがほんとに残念です。

2006年03月27日

偽善って、大嫌い

久しぶりに、友達と電話で長話しをした。
たいてい、中学生の頃の話まで、さかのぼって、色々と話しをするのだ・・

学校の先生の話しになると、たいてい「あの先生って、お気に入りの生徒と、そうじゃない生徒とかに対して、全然違かったよねぇ〜」とか、
「不良には見てみぬ振りして、怒っても反撃なさそうな子には、ひどい怒り方してたよねぇ〜」とか、思い出話しの話題になるんだけど。。。


中学2年の時、クラスに不登校の女の子がいて、中1の2学期に転校してきたばかりの私は、不登校の子がクラスにいるのも知らなくて、その子がどうして不登校なのかもよく知らなかった。。。

担任の授業では、小テストとか、授業での発言とかを、やたらと班単位での評価をしたんだけど、同じ班の男の子が、宿題を忘れるのは、班長の私がちゃんと念押ししてくれないからだ・・と、なぜか私のせいにするので、宿題のある時は、必ず前日に、その子に宿題のあることを、電話で念押ししていたのです。

そういえば、同じ班でいつも学校に来ない子がいると、改めて意識したのが、その時が最初で、不登校の彼女が、いつ学校に来ても良いように、同じ班の男の子に宿題の連絡を電話でする時には、必ず彼女にも、電話をして、宿題・学校の予定を伝えていた。。

彼女が不登校だから、心配して電話していたのではなくて、誰にでも、同じように接するというのが、なぜか小さい時から、自分の中で思っている誠実さのようなもので、同じ班のその男の子に翌日の宿題を連絡してるのだから、不登校でも、彼女に連絡することは、自分の中では、当たり前のことだと思っていて、電話をしていただけなんだけど・・・。
私の友達も皆、分け隔て無い付き合いをする人が多いので、きっと自分の中で大事だと感じるものは、そういうのを基準にしてるのかもしれない。。

電話の時の、彼女は、大人しい印象で、ちょっと緊張しているような・・とても遠慮がち・・というかそんな感じがした。。
少しでも、気さくに話が出来たらいいな・・、私なりに緊張感をほぐせるような?、無駄話もしてみたりしたが、まあ、私の話は、彼女の気持ちをほぐすような話しは出来なかったようで、彼女が、私に打ち解けた・・というのは、あまり感じ無かったけど、たまに「クスッ」と笑ってくれたかも?っていうような時は、なんとなく嬉しかった。。


1学期の終わりに、彼女が転校すると言うのを聞いて、「え〜?どうしたんだろう・・」電話では、そんなこと聞いていなかったけど、転校することになったんだ・・・、この学校が彼女には、どうしても通えない学校だったんだ・・と、ぼんやりした感じで思った。。そして担任の先生から、「ぶーにゃさんは、とても優しい人ですね」と言われた。

不登校の彼女に、ずっと電話をして、気にかけていたという「優しい」生徒に、私が見えた・・・?
先生にそう言われたとき、私は、嬉しくも無かった。
そして、その先生に、そう言われたことが、とてもしらじらしく感じた。
なぜなら、先生は、私が電話していた時には、そういったことをしているのを知っているのか、どうかはわからないが、全くの無反応だったから。。

私のことを、「とても優しい人ですね」と言ったのは、
たぶん、彼女の親御さんか、それとも彼女自身が、私が電話する事を、良い意味で先生に伝えたから・・・、
彼女側の誰かから、そういったことを聞かなければ、きっと私への「優しい」という評価も無いだろうと、すごく感じたし、

それに優しさを持って、彼女に接したわけでもなく、ただ同じクラスの仲間として、電話しただけで、私にとっては、当たり前な事を、あえて「優しい」と言われて、「優しい」って、人のちょっとした評価で、こんなにも簡単に決まるものなのか?と、思うとなんだかすごく嫌だった。
人から優しいって言われることは、こんなに浅いものなんだと、思ったくらい。


そして、彼女が転校すると決まってから、担任の先生があるクラスの一部の子達を厳しい目で見ていたのを覚えている。。たぶん、そのクラスの一部の子達が、その不登校の彼女に何かしら、彼女が傷つくことをしたというのを、先生が気がついたから・・

先生は、彼女が転校すると決まってから、やっと色んなことに対して、気がついた・・のかもしれない。。でも、それは、私に「優しい」と言うことも、クラスの一部の子達に、厳しい目で見ることも、違うんじゃないの?

何もかも遅いんだよね、、なんで、一番必要な時に、気がつかなかったの?って思う。
だって、彼女が小学校の頃から、ずっーと不登校だったのは、事実だったし、先生は、彼女の担任になって、それに対して、どれだけ心から、彼女のことを考えた時があるの?

偽善っていう言葉を、その先生を見て、初めて言葉の意味を現実として感じた。
担任の先生の授業は、とても面白くて、今でも、その先生の授業の教え方は、上手だと思ってる。。
でも、どこか、心から打ち解けられないような冷たさのようなものも、私は感じてたし、
私の友達も、一見気さくな先生に見えるけど、どこか冷たい感じがする先生だよね。。と言っていた。。
まあ、私の友達も私に近い感性持っているので、感じる印象が同じなだけなのかもしれないけど・・


その先生には、心から打ち解けられないような冷たさのようなものも、私は感じてたけど、その先生と、とても仲の良い子もいた。

でも、その先生は、何にも知らない。。勉強が出来て、頭の回転の速い、一見社交的に見えて、クラス委員もするようなその先生のお気に入りの子が、影で、ひどく先生の悪口言っていることとか、その子が、ものすごい、二面性を、持っているなんて、先生は、もちろん気がつかない。

偽りなことしか、出来ないから、偽りも見抜けない・・ってそう思った。
表面的なことしか、感じられないから、大事な事に気がつかない・・・。

不登校の彼女に、担任として、心で向き合おうともしなかった人が、クラスの一部の子のことを、どれだけ責められるの?と思った。

私はその頃、先輩に手ひどくいじめられていたんだけど、先生は、見事に、気がつかないふりで、無関心だった。
私も、そういう先生だというのを、感じていたので、その担任の先生には、相談しなかった。
嫌がらせをしてくる先輩の担任の先生に、相談したくらいだし。。

偽善の人は、偽善しか出来ないし、暖かいものが伝わる事が、何ひとつないと・・中2の時に、初めて感じて、それは、今でも変らない。。相変わらず、私は、偽善って大嫌いだ。

まあ、偽善って言っても、人ぞれぞれ、自分が感じる偽善というのも、その人によって違うし、
「あー、この人と居ると、心があったかくなるなぁ」という気持ちや、
「なんだか、冷たい感じで、居心地悪い〜」というのも、
その人によって、それぞれ違うので、あくまでも私が感じたことなんだけどさ。

2006年01月14日

簡易自己分析出来るので、試しに・・

今日、テレビを見ていたら・・・
以前にもお金を貸して、まだ返してもらっていない友達から、再度「お金を貸して〜」と言われた時、どのように断るか・・?というのをやっていた。

でも、こういうのって、状況によるしなぁ・・何ともいえないしなぁ・・・、その人の性格によっては、うまく断れない場合もあるだろうし・・って、思いながらも、同時に、

こういう発想が出てくる私じたいが、まず優柔不断に見られるだろうなぁと。。思ったら、
また今度は、自分を優柔不断に見られているというのではないか?と、自分の行動をすぐに客観的に見ている部分もある。。とか、何だか、一人で自問自答を始めたりして・・
ヽ(´ー`)ノ

そう思っているうちに、ちょっと自己分析でもしてみようかな・・と、簡単に、自己分析出来るサイトを見つけました。
(本当の自己分析は、もっと奥が深く難しいものですが、これはあくまでも、簡易ということで・・)

(リンクフリーでしたので、リンクを貼らせてもらいました。
 お時間のある時にでも、どうぞ・・・)

・EQ(心の知能指数)からの分析
http://www2.tokai.or.jp/HARMONY/eq/eqtest.htm#sr3

・エニアグラムによって自分が学べるタイプの考え方を知ることができます
http://shining.main.jp/eniatest.html

・MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)ユングのタイプ論を元に開発されたパーソナリティテスト
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/

2005年12月26日

どこ見てんのよ〜

以前の一言掲示板より、レス無しのほうが、良いかな〜と思い、軽い話は、”思ったことぼーど”を作って、そこに書こうと思って、書いてるんだけど、やはり、廃止して、自分のブログに書いたほうが良いかなぁ〜、

頭の中、面白いことも、難しい話も、両方持ってるんだけど、カキコだけ見てると、ジキルとハイド氏のように、極端に見えちゃうのが、困りもの。
(´Д`;)
ネットでは、表情とか、その時の時間の流れとか、見えないからなぁ〜

前置きが長いが、今日は、こっちに軽い話ししておこう。


少し前に、構造設計の問題で、国会で証人喚問している様子を、知り合いとTVで見ていたのですが、姉○氏が出てきたとたん、

知り合いが、「この人絶対、アートネー○ャーだよ!」って言うじゃない。。
「え〜、なんでわかるの〜?」と私・・。

このことを、友達に話したら、
姉○氏が報道陣にもみくちゃにされている時、
ここで誰か髪を引っ張ったら…とか、
罵声の中で、誰かが「このカ○ラ野郎!」とか言う人がいたら…って
一人でヒヤヒヤしたと言うし・・・。

私の友達も、氏の意見より、視点が頭髪にいってるし・・(笑)
って、どこ見てんのよ〜。

しかし、わかる人には、すぐに「ピン!」と来る、直感のようなものがあるらしい。。
って、そういう直感は、持ってると何か得になることあるのか・・(笑)



構造問題、なんとか良い方向に行くこと祈ります。
それにしても、自然災害が多い日本なのに、なんでこんなに建築関係の基準や審査が甘いんだろうか。
家を買う時は、長期ローンだし、ほんとに一生の生活に関わることだけに・・・。
・゜・(ノД`)・゜・

2005年12月06日

猫達を救う犬

ずっと昔に「猫達を救う犬」というのを読んだことがあります。
息子が2歳か3歳の時、本屋さんで見つけました。
我が家では、猫を飼っているので、題名に惹かれ、中身をパラパラと読んでみたら、すごい話が載っていると思い、即購入して読みました。

「動物は、障害があったり、弱かったりすると、攻撃されたり、群れの仲間に入れてもらえなかったりする・・」というのが、動物の本能なんだけど、この「猫達を救う犬」に出てくる犬は、怪我や病気で障がいを持ってしまった猫を見つけてきては、飼い主に面倒を見てくれとせがむのです。

怪我や病気で障がいを持ってしまった猫を見つける嗅覚といのうがすごいというか、そいういった事に対して、この犬独特のこだわりがあるのかもしれませんが、それでも弱いものを虐げるという本能が、薄まっているので、弱いものをわざわざ見つけてきて、虐げるではなく、助けるのですよね。

ノンフィクションのお話なのですが、読んでいて、本当の話し?と思うくらい、このワンちゃんのお話に、神様がこの犬についてるのかな・・?と思ってしまうくらいでした。

人を、支配したり、虐げる行動に対し、良い気持ちをもてないというのは、たいていの人は持っていると感情だと思います。
でも、上下関係、強弱関係、ボスになりたい、ボスに従う本能がある人間は、その本能を誰もが、持っていて、それが強いか薄いか、もしくは経験の中で、それが、強まったり、弱まったりする・・と感じます。

それでも人を、支配したり、虐げる行動に対し、良い気持ちをもてないというのは、心の中にある警告だと思うのです。この警告があるから、動物のようにあからさまに、弱者に対し、虐げることはしないのだと思います。人を蹴落としてまで、出世したい、お金をもうけたい、権威が大好きな人は、とても学力が高かったりして知性的にみえますが、上下関係、強弱関係の本能もとても強い人なんだと思います。

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ダブルバインドがきっかけで、モラルハラスメント関連の書籍を多く読んだ中で、多く出る言葉が「自己愛変質」という言葉です。
自分をゆがんだ形で愛している、自分をゆがんだ形で肯定してしまいすぎて、自己反省がどうしても出来ない人たちを、精神病とは言えないまでも、自己反省が出来ないという部分が、相手を支配する、相手の気持を操るという行動になってしまっている・・・・と。

今日、TVのニュースである事件の裁判の様子が流れていました。

(私個人が感じたことであって、あくまでも個人の感想なのですが・・・)
この事件の加害者の方は、私から見ると「自己愛変質」の方にしか見えませんでした。
加害者の方は、生まれつき「自己愛変質」の方かどうかはわかりませんが、裕福な家庭環境であっても、本当の愛情を持って、愛されてきたという印象は、とても薄い方でした。

ゆがんだ愛情の中で育ち、ゆがんだ愛情から、「ゆがんだ自己肯定感->強度の自己愛変質」になってしまった人の起こした事件に感じました。
被害者の方々の心が少しでも回復できますように。。。

2005年07月09日

TVドラマ  米倉さん素敵〜!! 

あんまりドラマとかは、見ないのだけど、少し前に見てたのは、「ごくせん」
「えんくみ」こと、仲間由紀恵がすっごく可愛くて、見てました。

最近では、「黒革の手帳」の米倉涼子さんがすっごくキレイで、米倉さんが出てなければ、「黒革の手帳」は見なかっただろなぁーーというくらい、米倉さん、素敵すぎて・・

その米倉さんが主演の「女系家族」、初回の2時間ドラマ見ました〜!!
高島さん、瀬戸さんの着物姿もすっごく素敵で、キレイどころが、たくさん出ています〜

話しは昭和の作品らしく、いろんな人間関係の欲の絡み合いの中で、最後に勝つのは誰か・・?みたいな感じの話しだけど、ハラハラ・ドキドキのストーリーの中で、キレイなお顔で、これでもか!?とやる、高島さん、瀬戸さんの姿が、全然嫌味じゃなくて・・・、

むしろ、あのキレイなお顔から、どんな意地悪なことをするのか?意地悪な顔を見てみたい?というくらい、魅力的なんです。

このお話は、代々続いた女系家族の美人三姉妹が、遺産をめぐり、段々と妖怪のように、おどろおどろしくなっていくお話のようで・・(^^;)
米倉さん、ドラマの中では、ひどい、いじめられようなんですが、米倉さんって、すごく強いイメージがあるので、ひどいことされてるんだけど、米倉さんの芯の強さのおかげか、嫌味に見えないんですよねぇ。。

昨日は職場で、嫌味なお局から、チクリと姑のようなことされて、かなりムカついていたんですけどねぇ〜
今は、米倉さんが主演の「女系家族」と、バレーボールの試合で、プチストレスを解消してます〜

それにしても、米倉さん、昭和の作品をこれだけ、今の時代にブレイクさせるとは・・かなりすごい女優さんなのかもしれない。。
柴咲コウさんも好きなのだけど、最近TVに出てなくて・・・映画で忙しいのかなぁ。

2005年06月12日

オーラと精神不安定者

少し前に、書いたけど、相変わらず強迫性観念が、出てくることが、しばしばあり、もう心は、ボロボロの時がある。

江原さんの番組が好きで、いつも見ているのだけど、こういった精神不安定者のオーラは、どんなになっているんだろう。

昔から、魔法みたいな不思議なものが、大好きなので、なのでハリーポッターも大好きなんだけど、だからか、オーラとかにも、興味があるのかもしれないけど。
しばらくは、自分のオーラは、すごく、くすんで、よくない色をしているんだろうなぁ。

2005年04月09日

恐るべし!細木さま

今日、細木数子さまがセーラー服姿で、「メチャいけ」に出ると知り、さっそくTVチェ〜ック。

国・数・理・社・英のテストを、出演者の女子10数人がやり、バカ度を見るという番組なんだけど、

出演者には、珠緒もいて、珠緒に対し細木さまが、「この、カマトト!(古!)」と、なかなかの一喝ぶりを、披露しながら、

細木さま、テストでは、なかなかの解答ぶりで・・・
だけど、「モアイ像」のことを、「ヘモア」と書いてしまい、大受けでした。

しかも、細木さまの「ヘモア」解答効果なのか、
↓@niftyの「瞬!ワード」、検索キーワード
http://www.nifty.com/search/
2005/04/09 19:00〜2005/04/09 20:00 の 瞬!ワードで

ヘモア」が、みごと、3位になっていた!!(笑)

2005年03月16日

記憶と心と行動

私は、自分の記憶力で、すごく振り回されるときがあります。

とくに、自分にとって、あまり合わない状況の言葉など、たくさん言われると、どんどん自分の記憶にたまっていき、おかしくなってしまうときがある。。
ここ数日も、その記憶の中のものがどんどん、頭を支配してしまって、強迫観念のようになってしまった。。

こういうときって、「思い出し怒り」を何度もしたり、しちゃうんだよね。。

それに、すごい、情緒不安定になってしまうし。。。

良い状況の時は、良いんですよ、、
特に楽しい時が続くと、楽しい記憶が、自分の中でたくさんになってくれるので、「思い出し笑い」を、何度かしてしまう。。

「思い出し笑い」なんかは、「思い出し怒り」より、ずっといいんだけど、これは、これで、ちょっと不気味で、自分でも、嫌なんだけど。。思い出してしまうから、仕方ないし。。

自分の中にある記憶は、過ぎた事でも私にとっては、現在の気持ちまでも、左右してしまうもの、なんですよね。。
だからといって、この自分の記憶を、勉強や知識に、思うようには生かせないんだよねぇ・・・。
うまくいかないのね・・・、私の脳って。。

先日、友達から、吉行淳之介の本を貸してもらって読んでいたら、吉行さんも、ある一部の記憶力がすごいとわかった。。

吉行さんは、「風景を、写真のように脳に記憶してしまうので、旅行にそれほど、行かなくても、行った場所の風景を、自分の中で、取り出して見れるので、そんなに旅行に行きたいと思わない」 とあった、もちろん、病気などの関係もあり、それもわずらわしいので・・ともあったけど・・

でも、海外や日本での有数の土地での、旅行取材をいくつか断ったというのは、旅行好きな人には、なんとも、もったいない話しなんだけど、吉行さんにとっては、面倒くさいのほうが、先立つのね。
もし、「風景を、写真のように脳に記憶してしまう」人でなかったら、旅行をもっと好きになれたのかな・・? 
過ぎた記憶を、今の自分に、まざまざと再現するのって、良いこともあれば、損することもあるよなぁ。。

そういえば、ここ最近、情緒不安定だったのに、
今日は、珍しく思い出し笑いをしてしまった。
息子のことで、昨夜おかしかったことがあって、それを、いきなり仕事中で思い出しちゃって、一人で思い出し笑い、しそうになったんだけど・・・(汗)

こういうのも、人前では、すごく恥ずかしくて、いきなり面白い事が、頭に浮かぶと本当に、困る時あるんだよねぇ。。だって、周りの状況と関係ない「思い出し笑い」って周りから見ると??だし、不気味だし。。
笑うっていうのは、怒りとかより、健康的で、幸せなことなんだけどねぇ。。

以前、テレビで、ゲイのママが
「くよくよ生きてきるのも、堂々と生きるのも、同じ生きるなら、堂々と生きるほうがいいじゃない」
と言ってたけど、ほんと、そんなふうになりたい。

でも、フト、よぎる色んな記憶が、まざまざと、今の自分の気持ちを支配する時があるから、くよくよになりやすいんだよね。やっかいだなって思う。