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誰かを落としいれることで何か救われることがあるの?--スケープゴート

(初めてスケープゴートというものを認識したとき)

幼児期は、ある保育所と2箇所の保育園、計3回の転園
小学校で、1回転校
そして、中学校でまた1回の転校

親が転勤族だったわけでなく、保育園時代では、保育園の定員というのがあったり、また通いやすい場所に新しい保育園が出来たというのもあり保育園は、2回変わった。


最初の保育園というか保育所は、一時預かり?という感じの小さいところで、私と妹と他の兄弟で4人の子供がいた。一緒だった兄弟は、兄と妹の二人兄妹で、このお兄ちゃんの子がなんだか意地悪だったのを覚えてる

例えば、絵を描いていてその兄妹が「くれよんを貸して」と言われたら、私も妹も普通に貸したりする。でも私達が、その兄妹に「くれよんを貸して」と言うと、絶対に貸してくれない。「なんで貸してくれないの?」と聞いても、お兄ちゃんの方が「自分達のだから貸したくない」という。

なんだかすごくずるく感じたので、その兄妹が貸してと言った時に、私も貸さないと言った。そしたら、すぐに保母さんに言いつける。そして私が叱られた。その時に、「だって、○○君は、私達がいつも貸してるのに、○○君は、貸してくれないから」と保母さんに言ったら、

そのお兄ちゃんは、「そんなことしてない」と言う。そして兄妹で一緒にそうだよねと言ってる。

私も妹とタッグを組んで、言い返したかったが、私の妹はまだ2歳になったばかりくらいで、私達のやりとりをきょとんとして見てる。



それからというもの・・

私の筆箱セットの中に、その兄妹達のくれよんや色えんぴつの一部が入っていた。筆箱セットを空けた私は、何で人の物が私の筆箱セット中に?ときょとんとした。

その瞬間そのお兄ちゃんがすぐに保母さんを呼んで、私がその兄妹の物を盗ったということを言われた。私は盗ってないと言った。でもまた兄妹で、タッグを汲んで私を責める。

私の横には、2歳になったばかりの妹が、横できょとんとしてる。

なんで、その子がそんなに意地悪なのかはわからなかった。

そんなことが数回続いた。

そして、保母さんは、私に対してはどんどん厳しくなり、そしてその兄妹には優しかった。


彼は、私にそれをして何かが気持ちがはれることはあったのだろうか。

私は覚えているけど、彼は今でも自分のしたことを覚えているだろうか・・・

そして、私はこの時期から、人を落としいれるという行為に、敏感に感じるようになる



 私が二十歳過ぎてから、母親に言われたこと

ある保育所に行ってた時、「お宅のお嬢さんはとても嘘つきで将来が心配だ」という手紙を、その保育所の保母さんから貰ったそうだ。母は、なんというひどい手紙をよこすんだと、すぐに読み捨てたらしい。

私は、二十歳過ぎてからそんなことを聞かされて、それまで全く知らなかったのを腹立だしく感じた。出来れば二十歳過ぎてからこのことについて話すのではなく、当時そのことがあった幼児期のその時に話したかった。でも忙しい母が私と話をする・聞いてくれる・・そんな時間は私が幼児期の時の当時はあまり無かった。。

(成長の過程の中では、必要な時期に必要な話をすることが大事なことだが、私の場合いつも母が忙しいということで、私の本当の気持ちは、母へきちんと話したり伝えたりすることが出来なかった。どんなことがあっても自分で考え自分で処理していく・・それが当たり前のように自分は過ごしてきた)

二十歳過ぎてからになってしまったけど、もちろんその保育所であったことを話した。
その時の状況やその時の私の気持ちを、私はとても強調し、母に理解して貰いたかったが、母はただ、ひどいことをいう保母さんだとしか言わなかった。

母に、私の汚名を晴らすきっかけがあったけど、私自身の事実や思いを伝えてるわりには、なぜか私の思いとはちょっと別なところに重点を置いてる母の思いにズレを感じ、すっきりしない気持ちが残った。

余裕の無い親に育てられるというのは、
子供には親の余裕の無い分だけ、何かがどんどん溜まっていく。
そして溜まり溜まった心も、こうやって思い違いですっきりすることも出来ない。



(・・・保育園の話に戻します)
その時の保育所から次の転園した保育園の保母さんは、集団生活の中で身辺自立を早くに求め、集団生活で常にスムーズに行動できる状況を求めたがり、厳しい先生でここでも良い思い出が無い。

嫌な思い出が続いたので、最後の保育園の保母さんがとても優しく暖かい先生で、すごく嬉しくて甘えた。この先生のことがあまりにも大好きで、よく間違えて「お母さん」と何度も呼んでしまうくらい、お母さんの次くらいに、大好きで甘えられる先生だった。

最後の保育園の大好きな先生・W先生は、「母さんの歌」をお昼ね前やお帰りの歌でうたっていた気がする。和田先生は、私達に、「お母さんは働きながら一生懸命育ててるんだよ。」「一生懸命育ててるお母さんが大好きだよね」って話してくれた。



保育園に通ってる子達は、幼児ながらも働いてる親に気を使うことがあって、仕事している親を煩わしたくないと思う気持ちと、甘えたい気持ち、小さいながらにこういった対極の気持ちの葛藤を持ってることがあると思うのだけど、

家事や仕事で忙しく疲れてる親に早くから身辺自立を求められ、保育園でも自立を求められたら、子供は苦しくなると思う。。幼児期は、どれだけ自立出来たかが大事ではなく、どれだけ親に安心して甘えられたかが、大事なはずだから・・

W先生は、子供なりの葛藤やけなげに我慢している気持ちを、「お母さんの歌」で「一生懸命育ててくれているんだよ」ということを私達に伝え、また甘えたい私達の気持ちをいつも受け止めてくれて、私達が先生に甘え、抱きつき、飛びつけば、いつでも受け入れてくれた。

「母さんの歌」   窪田聡 詞・曲

母さんは夜なべをして
手袋あんでくれた
木枯らしふいちゃつめたかろうて
せっせとあんだだよ・・・・


そして、当然だけどW先生は、どんな子にも同じように暖かい。
W先生は、好き嫌いという差別的な行動を子供達に見せ、差別を教えるような先生では当然無い。



心を見ようともしない、解ろうともしない、
断定的な判断しか出来ない人が、事実を見抜けるわけがない。

えばり叱り付けるしか出来ない大人というのがいるということ、
そういう大人が嫌いになったのが幼児期から。


また、スケープゴートを作りたがる心理・思考が、個人的にはどうしても受け入れにくい。
(スケープゴートとは)
不満や不快を感じた時に、そうした問題を他人のせいにいてその問題を解決したかのようにもっていくという傾向を取りたがる一部の人たちがいる。この概念は特定の集団において起き得る事であり、そうした不快感の原因を押し付けられたり被けられたりした個人は、その特定の集団内においてスケープゴートとなるのである。


あの時の保育所の意地悪なお兄ちゃんはどんな家庭環境だったのか私は知らない。

甘えたい盛りの幼い時期に母親と関わる時間が短く、外に預けられ、またそれ以外に愛情を求められない不満が、私などへ意地悪することによって、心が晴れるというのなら、本当にそれこそ私もその子も辛いとしか言いようがない・・・。

そしてそれを助長させることしか出来ない大人が側にいて・・。
悪は悪しか産まないから、悪循環という言葉があるんだ・・

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コメント

W先生の言葉、暖かい言葉
涙が出てきました

そんな言葉が心から出てきて
その言葉を人に、自分にも
かけられる、そんな人になりたい!
って思いました

しかし、憎ったらしい兄弟ですね
彼らも辛い環境を生きていたんですね

無垢な子供を歪める大人の罪を思います

春さん、はじめまして
コメントありがとうございます(*´▽`)

W先生、本当に暖かい先生でした。今思うと保育園を転々としてましたが、最後にその保育園で過ごせて良かったと思います。
暖かい先生がたくさんいる保育園で、幼い妹も随分と良く見てもらっていました。

>そんな言葉が心から出てきて
その言葉を人に、自分にも
かけられる、そんな人になりたい

私も心から癒せる言葉をかけられる人になりたいです。
W先生も両親が共働きだったそうで、だからこそ子供達の気持ちがわかるというのもあると思うのですが、子供の思い、親の思い、どの人の思いも大事にする、先生の暖かさを感じますよね。。

私が6歳で当時先生が22歳、今ならば58歳だと思いますが、歳を重ねたW先生にも逢ってみたいです。

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